倉山満(憲政史家、皇室史学者)

 もし私がこの状況で総理大臣を引き受けたら、どうするか?

 まず、疫病対策と経済政策の専門家を集める。総理大臣がすべての問題の専門家である必要はない。誰が信用できる専門家なのか、ありとあらゆる人脈を使って確かめ、集めればよい。

 ただ、総理大臣になるような人間は、経済政策の専門家など日ごろから付き合っていなければおかしい。だから、この新型コロナ禍において必要とされるのは、科学的な議論ができる医者だ。

 そして、自らが頼みとする専門家たちに諮問する。「俺が責任を持つ。コロナ禍で何人の死者までなら許容するのか、数字で述べよ」と。この諮問を残酷と思うなら、総理大臣どころか政治家を辞めたほうがよい。少なくとも、厚生労働大臣にはならないほうがよい。

 医療における議論の決着の仕方は、最終的にカネなのである。たとえば、「iPS細胞の研究」「離島へのドクターヘリ配備」「都会での救急車の増加」などなど、医療において必要な政策は無数にある。

 では、どれを優先するのか。重要性は同じであり、命の尊さだ。離島でドクターヘリを待ち望んでいる人の命も、都会で救急車がもっと走っていれば救えるかもしれない命も、iPS細胞の実用化を待ち望んでいる人々の切実な願いも、差がつけられるはずがない。

 また、当たり前すぎる事実だが、医者は「すべての命を救う」ことなど求められていないし、できもしない。最善を尽くし、救える命を救うのが医者の使命だ。医者の本分は結果責任ではなく、最善を尽くしたか否かだ。

 よって、政治が医療問題を解決しようとすれば、結論は「限られた予算をいかに効率的に投じるか」の議論に収斂(しゅうれん)されるのだ。そして、医療問題で政策の優先順位をカネで決着させるということは、「カネの問題で救えない命もある」というのが現実なのである。

 果たして日本政府は、こうした医療の基本を踏まえていただろうか。

 新型コロナは未知の伝染病である。伝染病である以上、根絶は不可能だ。当然、コロナ禍において一人も死なせないなど、不可能だ。だから、「俺が責任を持つ。コロナ禍で何人の死者までなら許容するのか、数字を述べよ」と諮問する。
会見で記者団の質問に答える菅義偉首相と、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(右)=2020年12月25日、首相官邸(春名中撮影)
会見で記者団の質問に答える菅義偉首相と、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(右)=2020年12月25日、首相官邸(春名中撮影)
 諮問した相手が、仮に「ゼロ人」だと答えたとしよう。国家予算だけでは足りず、政府は国債を刷って何年分もの借金を背負い込むこととなるだろう。だが、伝染病が流行するたびに、経済そのものを止めて、借金を拡大するわけにもいくまい。