2020年春、日本政府は緊急事態宣言を発令して、経済そのものを止めた。莫大な給付金も行った。新型コロナをペストかエボラ出血熱のように危険な伝染病だと見なしてだ。結果、例年のインフルエンザの死者数よりも低い数字に抑え込んだ。この事実には2つの評価がある。

 1つは「新型コロナなどインフルエンザよりも危険性はない」とする説、もう1つは「ここまでの対応をしたから、インフルエンザよりも低い数字で抑え込んだのだ。もし何もしなければ被害は甚大だったのではないか」との説。同じ尺度ではないので、厳密には比較のしようがない。

 だが、科学的な議論であるならば、特に未知の病原体が対象であるならば、自由な議論が許されねばならない。一度はまるで「ペストやエボラ出血熱のような恐怖の伝染病かもしれない」との仮説に立って経済を止めたのだから、逆に「ただの風邪かもしれない」との前提に立って一切の伝染病対策を放棄する議論すら許されねばならない。

 この仮説に立った場合、「消毒・就業制限・入院勧告のどれかだけをすればよい」という議論もあり得る。一時は「何もしなければ42万人死ぬ」という議論を前提に日本経済を止めたが、何もしないことなどありえない。

 仮に「消毒と就業制限と入院勧告」を行った場合、死者は何人になるのか。繰り返すが、未知の病原体に怯え経済を止める議論をするならば、複数の可能性を提示すべきであろう。「ペストかもしれない」という議論と、「ただの風邪かもしれない」という議論と、その中間だ。そういった科学的議論ができない以上、疫病対策は迷走し、必然的に不況は加速する一方だろう。

 そもそも、何のためにコロナ対策をしているのか。さすがに今の日本政府が新型コロナの感染者(実は陽性者)をゼロにするなどとは考えてはいまい。政府は頑(かたく)なに目標(勝利条件)を明言しないが、本当に何も考えておらず、風任せなのだろう。だから目的を見失っている。為政者自身が何をしてよいか分からないのだから、国民が動揺するのは当然だ。これにマスコミが輪をかける。もはや、引っ込みがつかなくなっているのだろう。

 だからこそ、総理大臣が人心を鎮撫しなければ、誰がこの混乱を収拾できるのか。あらゆる患者の命を救おうとするのが医療倫理であるのと同時に、それは不可能なのが現実だ。そして、政治家が政策により医療と関わる場合は、最終的にはカネの問題であり、救えない命を受け容れることなのだ。

 今の菅義偉(すが・よしひで)総理にこのような意見を具申する者がいない以上、当面はコロナ禍で右往左往するだろう。

 さて、2020年を振り返ると、世界中がコロナ禍に明け暮れた。その中でも、わが国では長く続きすぎた安倍晋三内閣が退陣し、総理が交代した

 そもそも、2019年10月1日に消費増税10%がなされ、日本経済は破滅へのカウントダウンを始めていた。安倍総理は財務省に屈した。そこへ20年初頭からコロナ禍だ。そして20年春、安倍官邸は検察庁に抗争を挑み、完敗。既にレームダック(死に体)と化していた。6月に国会を閉じてからは延々と後継を巡る謀議が繰り広げられ、結果として菅氏に事実上の禅譲が行われた。
自民党総裁選を終え、安倍晋三首相(左)に花束を渡す新総裁の菅義偉官房長官=2020年9月14日(川口良介撮影)
自民党総裁選を終え、安倍晋三首相(左)に花束を渡す新総裁の菅義偉官房長官=2020年9月14日(川口良介撮影)
 ただ、内実は不安定だ。安倍内閣は、安倍総理、麻生太郎財務大臣、二階俊博自民党幹事長の3人が組んでいる限り無敵だった。そして100人の派閥を率いる安倍総理の下で3人は結束していた。ところが菅内閣では、二階幹事長と麻生財務大臣の暗闘が激化している。20人の派閥しか持たない菅総理が非力なのは、やむを得まい(なお、菅総理は表向き無派閥)。