必要なのは道徳性だ。いじめとは、自分の中の最も醜い悪魔、恥部、醜態を見せることに他ならない。人間の中には、他人の不幸を喜ぶ悪魔、他人の幸福を嫉妬し、潰そうとする悪魔がいる。それと闘わねばならないということだ。

 道徳性とは、暴走する自分、崩壊する自分を救う最後の一線だと考える。「いけない!私は、○○である」との○○には、すべての職業や地位や立場が入るのだ。教師間いじめ事件では、○○に教師を入れて、自分を振り返ることができたか、否かが問われた。「『いじめはダメ』と言ってる自分が、いじめをやって楽しんでいる。言ってることと、やってることが、真逆になっている。いけない!私は、教師である」とは、ならなかった結果だ。

 では、道徳教育として、何を子供たちに教えるのか。2つある。

 1つは、小中学生としての「あるべき自分」とは、「どんな自分なのか」を考えさせることだ。簡単に言えば、卒業の際、「やるべきことは、全てやった、できた」と胸を張れる自分である。

 そして、それを考える際の前提は、「自分の望む将来とは、どんな将来か」「自分にとっての後悔しない生き方とはどんな生き方か」「自分にとっての幸福とは、有意義な人生、価値ある生き方とは、どんなことか?」「そもそも、義務教育は、何のためにあるのか、どう過ごすべきか」などを、まず考えさせるのである。これは無数にある。

 2つ目は、「現実の自分」たる今の自分、今までの自分を振り返り、親や他人に対しても、胸を張れる生活をしているか、考えさせることだ。

 「級友の幸福を共に喜んでいるか、逆に、嫉妬していないか。級友の不幸を共に悲しんでいるか、逆に、あざ笑っていないか、まさか、いじめを楽しんでいないか、人の苦しみ、不幸しか喜びを感じなくなったら、自分は終わりではないか?」

 また、「『人にはやさしく、寛大に』などと言いながら、それが自分に対して、だけになっていないか、逆に、『自分に厳しく』」などと言いながら、厳しいのは、他人に対して、だけになっていないか」など、これも無数にある。
※画像はイメージ(ゲッティイメージズ)
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 学校では、子供たちの道徳に関する評価に関して、今まで検討や議論がなされてきたが、大切なことは、子供自身が自分をどう評価するかだ。これが、自分の目を育てるのである。

 このように道徳教育は、極めて重要である。やり方次第で、子供の人生、生き方を左右する。道徳教育の重要性を再認識すべきだ。