田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 米ハーバード大ロースクールのJ・マーク・ラムザイヤー教授の論文が国際的な波紋を招いている。「太平洋戦争における性契約」と題された論文で、学術誌「インターナショナル・レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス」の65巻に掲載予定である。

 内容は慰安婦問題に関するものであり、「慰安婦=性奴隷」説に反論し、「慰安婦」を性的サービスの問題として解釈して瑕疵(かし)を明らかにしている。

 ラムザイヤー教授の論文は学術的な性格のものである。論文の要旨は産経新聞が的確に要約している。しかし、この論文に対して、ハーバード大の韓国系の学生らが抗議の声をあげたと韓国大手紙の中央日報が報じている

 ラムザイヤー教授の業績は、人の経済合理性を基準にして、法、制度、経済政策などを鋭利に分析することで日本でもよく知られている。F・ローゼンブルース教授との共著「日本政治の経済学 政権政党の合理的選択」や、東大名誉教授の三輪芳朗氏との一連の共著で、戦後日本の経済、特に産業政策についての通説を打破したことが著名である。

 分析においては、人の合理的な選択を前提にすることに特徴がある。例えば、日本の官僚たちが極めて有能であり、そのリーダシップで日本の産業が戦後「奇跡的な経済復興」を成し遂げたと見なす俗説に立ち向かったことでも明らかである。城山三郎氏の小説「官僚たちの夏」では、そのような有能な官僚による産業政策の「裏側」がフィクションとして提供されている。

 民間の企業家たちが、政府や官僚に従属する主体性のないものとして描かれていることにラムザイヤー教授は疑問を呈した。企業も、政治家も、官僚たちも合理的な選択を行うプレーヤーであり、その観点から日本の産業政策を省察することにあった。その結果、官僚たちの役割はむしろ民間の企業の選択をゆがめ、非効率的なものにすることにこそ貢献したという通説の打破につながった。
ソウルの日本大使館前に設置された従軍慰安婦の被害を象徴する少女像=2021年1月8日(共同)
ソウルの日本大使館前に設置された従軍慰安婦の被害を象徴する少女像=2021年1月8日(共同)
 今回の慰安婦論文に関連して筆者が思い出すのは、ラムザイヤー教授による「官僚の天下り」の解釈である。以前、拙著「不謹慎な経済学」(講談社)で紹介したことがある。簡単にいうと、天下りそのものは社会悪ではない、とするものである。

 与党政治家と官僚のキャリア形成に関わる一種の「雇用関係」として天下りを見なしている。与党の政治家は、官僚に自分たちの利益にかなうような仕事をしてもらう。官僚たちは現役のときは相対的に低い給料に甘んじながらも、その見返りとして退職後は政府関連機関などで、天下りによるの高所得を享受する。

 官僚たちの過酷な労働に見えるものも、生涯報酬の観点からはつじつまが合い、与党政治家も官僚たちもお互いがこの「契約関係」に満足しているというものだ。しかし、ラムザイヤー教授らはこれでいいとは思っていないことに注意が必要だ。