田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 旧民主党政権が誕生したのが2009年9月、崩壊したのが12年12月。その期間はリーマンショックによる経済危機、11年3月11日の東日本大震災を含む、日本にとって困難の時代だった。

 筆者は民主党政権前後から、民主党が採用するであろう経済政策を厳しくメディアで批判していた。簡単にいうと、当時の民主党政権には、デフレ不況を脱却して日本経済を成長させる具体的な政策に欠けていた。むしろ、成長を否定し、デフレ不況を前提にしたうえで、経済のパイの取り分を切り分けるという「再分配」政策だけに傾いていた。

 例えば、リーマンショックによる不況で苦しむ家計への経済援助に重点を置いた政策を当時の民主党は提唱していた。このこと自体はいいが、その「財源」を他の予算を削って捻出しようとしていた。これでは予算の総額は変わらないので問題だ。

 なぜなら不況のときは、民間が消費や投資で使うお金が減るので、その分、政府が支出を増やさなければいけない。当時の民主党の発想では、政府から出るお金の総額は変わらず、単にその支出する先が変わるだけにすぎないからだ。また、金融政策についても極めて無理解であり、日本がなぜデフレに直面して長期停滞に陥っていたかの理解していなかった。

 それに対して、筆者は、金融政策をインフレ目標付きの超金融緩和に転換し、積極的な財政政策で協調してデフレ脱却し、日本経済の経済成長を安定的なものにすべきだ、というものであった。もちろん、成長と再分配は矛盾しないので、大きくなったパイを切り分けるほうが政策的にも自由度が膨らむ。

 だが、民主党政権発足前から「一度はやらせてみよう」という雰囲気がワイドショーなどでまん延し、民主党ブームが起きている中では、筆者のような主張は少数派だった。例外的に、現在、政策委員会審議委員をしている安達誠司氏らが、民主党の経済政策を筆者と同様の視点から批判したのが目につく程度であった。

 筆者らの懸念は、民主党政権で現実化し、日本経済にとってまさに「悪夢」の日々が到来してしまった。お断りしておくが、この事態を外野で傍観していたのではない。実際に、民主党の中にも、上記した金融政策の転換と積極財政との協調を理解していた極々少数の国会議員らがいて、その方々と連絡をとり、どうにか当時の与党の政策を変更できないか、試行錯誤していた。

 東日本大震災当日の午前中には、民主党議員を含む超党派議員の方々に帯同して、国会においてすべての政党に対してデフレ脱却政策を陳情し、記者会見を行った。民主党内にデフレ脱却議連ができれば、準備段階で講演などもした。民主党代表選に出た馬淵澄夫議員の政策立案にも関与したこともある。
衆院本会議で消費税増税関連法案が可決され、拍手する野田佳彦首相(右)と岡田克也副総理(いずれも肩書は当時)=2012年6月26日(酒巻俊介撮影)
衆院本会議で消費税増税関連法案が可決され、拍手する野田佳彦首相(右)と岡田克也副総理(いずれも肩書は当時)=2012年6月26日(酒巻俊介撮影)
 だが、残念ながら多勢に無勢、民主党政権はデフレ脱却政策を採用するどころか、真逆の緊縮政策にまい進していった。その象徴的な出来事が、民主党が音頭をとり、野党だった自民党と公明党との間で決定した消費税の引き上げ政策である。社会保障と税の一体改革の一環であるが、財務省としては宿願の消費増税を、民主党政権で決めた政治的意義は大きい。

 この「消費増税の呪い」とでも言うべきものに、結局、政権が交代し、安倍政権となりアベノミクスになってからも縛られてきたことは、本連載の読者に説明するまでもないだろう。