上久保誠人(立命館大政策科学部教授)

 東京五輪・パラリンピック組織委員会会長だった森喜朗氏が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言をしたことが大きな批判を呼んだ。森氏は2月4日に釈明会見を開いたが、批判は国外にも広がり、辞任に追い込まれた。

 その後、日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏が森氏から事実上の後継指名を受けると、女性会長の就任や若返りを望む声が殺到した。すると、政府が川淵氏の会長就任に難色を示し、組織委は起用を見送った。

 前スポーツ庁長官の鈴木大地氏などが後任候補に挙げられたが、2月18日には、橋本聖子五輪相が組織委からの会長就任要請を受諾したと報じられた。女性や若手では経験不足との声もあるが、そんなことはない。むしろ、森氏ら長老が中心となって準備してきた五輪・パラリンピックは、これまで問題だらけだったではないか。彼らが経験豊富で運営能力があると考えることこそ勘違いだったのだ。

 森氏の発言に話を戻すと、女性差別、女性蔑視とされても弁解の余地のないものである。五輪・パラリンピックの理念にも完全に反するものだ。会長辞任は当然だと考える。一方、森氏個人の考え方をバッシングして終わればいいというものではないように思う。より本質的に考えるべき問題がある。

 例えば、中西宏明経団連会長は森氏の発言に対して「日本社会っていうのは、そういう本音のところが正直言ってあるような気もします。(それが)ぱっと出てしまったということかもしれませんけど」とコメントした。つまり、重要なのは、森氏のような現代では通用しない古い価値観を持つ人たちが、いまだに日本社会の中枢を占めていることだ。

 そもそも、東京五輪とはなんであろうか。それは、2025年に開催予定の「大阪万博」と併せて、日本の国力を世界に示すという「国威高揚策」として招致されたものだ。また、巨大なハコモノの建設にカネをバラまいて景気を浮揚しようという経済政策でもある。
東京五輪のメイン会場となる新国立競技場と五輪マーク=2020年3月、東京都新宿区(三尾郁恵撮影)
東京五輪のメイン会場となる新国立競技場と五輪マーク=2020年3月、東京都新宿区(三尾郁恵撮影)
 要するに、昭和の時代に青春期を生きた人の「高度経済成長期の夢をもう一度」という願望が具現化されたものだということだ。そして、その夢が日本の発展の足を引っ張ってきたことが問題なのだ。

 新型コロナ禍に見舞われた日本が目の当たりにしたのは、リモートワークなどで必要なIT・デジタル技術で世界の後塵(こうじん)を拝しているという事実だった。それは「東京五輪」「大阪万博」の招致が決まった安倍晋三政権時代に、アベノミクスと呼ばれた異次元の金融緩和・公共事業のバラマキにより、斜陽産業の延命が図られる一方で、成長戦略の実行が先送りされ続けたためである。

 GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)と呼ばれる米国の巨大IT・デジタル企業体が世界を席巻し、BATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)などの中国勢がそれを追う展開となっていたとき、日本では昭和の夢の復活を追う老人たちに、安倍前首相など現役政治家たちが配慮する「シルバー・デモクラシー」が続き、イノベーションの芽も、新しい産業が産まれる芽も、世の中を変えようとする意欲ある若者が登場する芽も、摘まれ続けていたのだ。

 森氏は首相在任中の2000年に「日本は神の国」と失言し、バッシングを受けた。いわば「昭和の保守派」である。私は「昭和の保守派」たちに常々聞きたいと思っていたことがある。今回はそれを聞く、いい機会だと思う。

 それは、「昭和の保守派」たちのさまざまな主張をそのまま実行すれば、日本は衰退の一途をたどってしまうのではないかという疑問だ。あえていえば、彼らは、まるで日本を滅亡させたいのではないかとさえ思えてならないのである。

 菅政権誕生後、女性の社会進出を進めようとする動きが出てきている。例えば、「選択的夫婦別姓」を実現させようという動きが自民党内の女性議員たちから出てきた。これは、国連の女性差別撤廃委員会から「差別的な規定」と3度にわたって勧告を受けている問題だ。だが、「昭和の保守派」たちの考えを引き継いだ反対派の抵抗が強く、法案の提出は見送りとなった。