福田ますみ(ノンフィクション作家)


 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長だった森喜朗氏が放った「女性蔑視」発言の波紋は、彼が辞任表明した後もなお広がり続けている。そのバッシングのすごさたるや、新型コロナウイルスの脅威さえかすんでしまうほどだ。 

 テレビを見ても新聞、雑誌を読んでも、森氏への批判、非難、糾弾であふれている。マスコミは、芸人やタレント、スポーツ選手に手あたり次第に発言の感想を求めている。さらに、五輪のスポンサー企業に片っ端から取材し、批判コメントを次々に引き出すことも怠りない。

 ご苦労さまなことだが、これではまるで「踏み絵」だ。そこには異論や反論はどこにもない。

 中にはこの騒ぎに便乗して、「(森氏を)座敷牢に入れろ!」「本人が粗大ゴミで掃いてくれればいいと言っているのだから、私が粗大ごみシールを買ってきて、背中に貼ってあげる」などと発言する著名人もいる。悪ノリも大概にしろと言いたいが、彼らにとっておそらく「差別者」とは犯罪者よりも罪が重いのだ。「完膚(かんぷ)なきまでにたたきのめして何が悪い。それが正義だ」とでも思っているのだろう。

 森氏が発言したのは2月3日、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会の席上である。マスコミは、森氏の40分の発言のうち、「女性がたくさん入っている理事会の会議は、時間がかかります」「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を上げて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」というあたりを最も問題視しているようだ。

 だが、ネットでは、この発言は切り取られているとして、「全文を読もう」と呼びかける声が多い。にもかかわらず、彼の長い発言全部を正確に再現した文章はないのではないか。各メディアが掲載したのは要旨である。したがってそれぞれ微妙にニュアンスが異なっている。

 ともかく朝日新聞が小さく掲載した要旨を読んでみたが、まず、女性を一くくりにして語るのがいけないようだ。いまでは普通の会話の中でさえ、「女性はこうである」といった属性に基づく決めつけをしてはならないというのが、ジェンダー平等を実現するための「常識」のようである。

 しかしこれ、男性だけの問題か? 公の場で誰憚(はばか)ることなく、「男って」「おっさんって」と一くくりにして揶揄(やゆ)したり、笑い飛ばしたりする女性はたくさんいる。男性の側からすればこれも偏見、差別だが、特にお咎(とが)めなしである。

 肝心のその中身だが、「女性が入っている会議は時間がかかる」というのははたして女性蔑視になるのか? 意識の高いフェミニストから叱られそうだが、私はただ、「それだったら、40分も話している森さんも話が長いでしょ」とツッコミたくなっただけである。

 反面、「女の話は確かに長い。森さんは事実を言っただけ」と肯定する女性も多い。次の「女性っていうのは競争心が強い。誰か一人が手を挙げて言うと…」の発言は、これだけ聞くとネガティブな印象だが、他のメディアが公開したものには、「女性っていうのは優れているところですが、競争意識が強い」となっている。「優れている…」を朝日新聞が意図的に省いたなら、質の悪い印象操作だ。この言葉一つでニュアンスがガラっと変わる。

 むしろ気になったのは、「女性の数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制を促していかないとなかなか終わらないので困ると言っておられた」の部分である。ここの部分は森氏ではなく、だれかの発言のようだが、伝聞にせよ、「規制」という言葉を使うのは不適切ではないか。女性だけに「規制」を求めるのは、確かに差別と受け取られかねないからだ。 

 ところが、この朝日新聞の要約を読み通すと、最後の部分で組織委の女性委員たちのことを褒め、「欠員があるとすぐ女性を選ぼうということにしているわけであります」と締めくくっている。
東京五輪・パラリンピック組織委の理事会と評議員会の合同懇談会で辞任を表明し、一礼する森喜朗氏=2021年2月12日、東京都中央区(代表撮影)
東京五輪・パラリンピック組織委の理事会と評議員会の合同懇談会で辞任を表明し、一礼する森喜朗氏=2021年2月12日、東京都中央区(代表撮影)
 つまり、伝聞の内容を最後の部分で否定して、「いやそういう声があっても女性をすすんで登用しますよ」と結んでいるのであり、ここに彼の真意がある。反語表現などめずらしくない。これのどこが女性蔑視なのか。ところが追及の急先鋒である朝日新聞や毎日新聞、テレビは、結びを意図的に無視して前半の反語部分だけを執拗に攻撃している。まさしく曲解であり「切り取り」だ。