渡邊大門(歴史学者)


 NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が終了した。結局、ドラマの終盤は駆け足となり、明智光秀の悲惨な最期は描かれなかった。それどころか、あたかも光秀が生き延びたかのような感じで終わっていた。

 そもそも、主人公である光秀の前半生は、ほとんど不明である。実際、たしかな史料に光秀が登場するのは、永禄11(1568)年10月に織田信長が上洛して以降である。そこからわずか十余年の生涯しか分からない。

 しかし、ドラマでは信長が上洛するまでの期間を長い回数で放映し、その後の光秀の動きはかなり駆け足だった。信長や光秀にまつわる政治上の重要なトピックス、合戦などはほぼスルー。視聴者のネット上の評価は、賛否両論だった。

 また、マスコミの「麒麟がくる」の取り上げ方は、おおむね好意的だったように思う。そこには、大人の事情もあるだろう。別にテレビドラマに限らず、映画、演劇、小説などの批評は忖度があり、すでにおおむね成り立たなくなっているのが現状だ。

 そこで今回は、大河ドラマがいかにあるべきか、私なりに考えることにしたい。

 一般的に大河ドラマを見る人は、歴史好きもいるだろうが、特段の思い入れのない人が多いだろう。毎年、ほぼ惰性で「大河ドラマは見るもの」と思っている人も多いはずである。大みそか恒例の「紅白歌合戦」と同じだ。

 ただ、私が歴史を好きになったのは、実は大河ドラマの影響である。具体的に言えば、昭和53(1978)年に放映された「黄金の日日」、そして翌年の「草燃える」である。毎回、食い入るようにテレビを見た。

 テレビだけではない。当時、近所に住んでいた叔母にねだって、それぞれの原作本を買ってもらい、夢中になって読んだ。しかし、永井路子さんの「草燃える」には、エッチな描写があり、むしろそっちのほうが印象に残っているかもしれない…。

 その後、大河ドラマは長らく見なかったが、再び見るようになったのは平成24(2012)年の「平清盛」である。それには、もちろん理由がある。当時、数々の歴史本を刊行していた洋泉社から、毎回の批評を執筆するよう依頼されたからだ。

 批評するに際しては、特に注文はなかった。私自身、極端に過激な批判を避けるべきとは思っていたが、辛口批評にならざるを得なかったのは事実である。しかし、辛口批評になるということは、自殺行為だったことを連載後に知る。

 あまり深く考えていなかったが、ネット上でのマスコミ関係の記事は、さまざまな視聴者層に配慮して、おおむね好意的なことを書く。「さすが神演出!」「〇〇〇〇さんの神演技!」「満を持して〇〇〇〇さんが登場!」などなどである。手厳しい批評は皆無といっても過言ではない。

 しかし、私も同じように賞賛をしてもしょうがないので、辛口路線でいくことにした。これが悲劇の始まりだった。私の辛口路線は、2つの見方からなっていた。1つは史実に沿っているか、もう1つはドラマそのものがおもしろいか、ということである。

 悲しいことに、私はある程度の事実関係を知っているので、毎回イライラしながら「平清盛」を見ていた。「史実と違う!」と。最初は、かなり丁寧な口調で事実関係をひも解きながら解説していたが、私のコラムに関する読者の怒りは頂点に達した。理由は簡単である。

 まず、視聴者の中には、あまり事実関係を知らない人もいる。そういう人は、せっかく大河ドラマを楽しんでみているのに、「史実と違う!」と連呼されると腹が立つのである。私が行ったことは、人々が「うまい!」と思っているラーメンに対して、ラーメン評論家がケチをつけているようなものだ。
※写真はイメージ(ゲッティイメージズ)
※写真はイメージ(ゲッティイメージズ)
 そのうち、だんだん大河ドラマの演出などにもケチをつけるようになった。これも極めて不評で、視聴者からはずいぶんとボロカスに言われた。ミジメなものである…。そのうち「文句があるなら見るな!」とまでいわれる始末。トホホである。