そもそも、西東京市議会における保革の議席数は拮抗(きっこう)しており、さらには、旧日本社会党所属の都議会議員であった坂口光治氏が2期8年間にわたって市長を務めたことがあるなど、革新・リベラル派の影響力は大きい。

 一方で、当時の現職である丸山市長および彼の与党であった自公の動きは遅かった。丸山氏の3選出馬も予想されていたが、対抗馬である平井氏からの「高齢」批判を恐れてか、12月19日になってようやく池沢氏を後継者として擁立する。

 通例なら、現職市長から後継指名を受けた池沢氏が有利に選挙戦を展開するのであろうが、初動が遅れた上に、自公両党の衆議院議員が緊急事態宣言下に銀座のクラブを訪れたことなどが逆風となりつつあった。そうした背景もあり、池沢氏の陣営は危機感を抱いたのだろう。

 後援団体である「明日の西東京を創る会」名義のもと、新聞記事を引用する形で逗子市長時代の平井氏を酷評するビラを配布したのだ。その内容自体は市民に対する情報提供として参考になる。しかし、そのビラの締めくくりに記載されていたのは「西東京市のまちづくりは、西東京市民の手で/共産・左翼に市政を渡すな!!」という文字で、ここには政策との関連性が見られない。

 もし「共産・左翼に市政を渡すな!!」と主張するなら、平井氏が逗子市長時代に市内の旧池子弾薬庫跡地に建設された米軍住宅の増設を巡り、「環境破壊」だとして反対した前歴こそ掘り下げるべきであったろうが、ビラでは財政問題しか取り上げていなかった。

 その上、ビラには「逗子での失敗のリベンジは逗子でやって下さい。ここは西東京市です」と青地に白抜きで書かれている。「西東京市のまちづくりは、西東京市民の手で」という表現と併せ、こうした「よそから来た新参者は黙っていろ!」と言わんばかりの表現は、自らの既得権益を守ろうとする「ムラ社会」の論理丸出しで、池沢氏の対応はかえって有権者の反発を招いたようだ。

 結果として池沢氏は約1500票差で辛勝したけれども、2月28日に始まった市議会では、このビラの内容を巡る質疑で議事が紛糾しているという。
池澤氏陣営が配布した問題のビラ(田村ひろゆき市議提供)
池沢氏陣営が配布した問題のビラ(田村ひろゆき市議提供)
 現在の西東京市の人口は20万人を超えるけれども、公団住宅の代名詞と呼ばれる市内の「ひばりが丘団地」が竣工した昭和35年時点の田無町・保谷町の人口が合わせて8万人弱であることからして、この地域は高度成長期以降に他自治体から移住してきた人々が多いと思われる。

 また、西東京市の昼夜間人口比率が80%弱であることと考え合わせると、新参者の大半はサラリーマンや学生として市外に通勤・通学していると考えられる。地域の発展を目指すなら、こうした新参者の知見や人脈などを活用することが重要であるにもかかわらず、池澤氏の陣営は内向きの態度を鮮明にしてしまった。