田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 ウイグル族への中国政府の弾圧が、人口政策と優生思想と強く結びついていることを前回の連載で指摘した。この「人口政策と優生思想」は、現在の日本にも深刻な影響を与えている。

 戦前、人口政策を見誤った日本は、過剰人口の解消を狙って海外植民地の獲得を正当化した。また、同時に海外への移民や産児制限も奨励していた。日本の国土や経済的資源で養うことができる人口は限りがある。過剰人口が社会の構造的な停滞の背景にあるという経済思想と結びついていた。

 「大日本主義」として海外への軍事的進出が行われた背景に、過剰人口論があったことは疑いようもない。この点は、戦前から石橋湛山らが過剰人口と結びついた日本停滞論の誤りを積極的に批判していた。石橋は、過剰人口自体には大きな問題はなく、むしろ仕事の不足こそが経済停滞の主因であることを指摘した。

 石橋は海外に植民地を持つことの経済的なメリットはほとんどなく、むしろ諸外国からの感情的、政治的な反発を招くとした上で、貿易の自由化を積極的に進めることが重要だとした(参照「石橋湛山の経済政策思想」原田泰・和田みき子著、「GHQの陰謀と日本の経済復興(仮)」田中秀臣著、近刊)。

 石橋の「小日本主義」の姿勢は、戦前日本の行方には決定的に重要だった。だが、日本は誤った過剰人口停滞論を一つの背景にして対外進出を強め、やがて戦争と敗戦を日本に招いた。

 だが、この誤った過剰人口論の話はこれで終わらない。連合国軍総司令部(GHQ)による占領期、日本の出生率の大幅増加と死亡率の減少を背景にして、再び過剰人口論が息を吹き返した。GHQの人口政策についての姿勢は、表向きでは日本人の「自己責任」に任せるというものだったが、本音は違った。民主化という名目で日本が二度と「対外戦争」を起こさないことが目的だった。この「対外戦争」の中には、当初は他国からの侵略に対する自国防衛までも含まれていた。実に徹底した、ゆがみ切った絶対平和主義が採用されていた。

 GHQの最高司令官であったマッカーサーのスタッフには、ニューディーラーが多いと言われている。米大統領のフランクリン・ルーズベルトが大恐慌時に採用した、積極的なマクロ経済政策を支持した人たちのことである。だが、日本においては経済規模の拡大よりも、「経済民主化」という名前の制度変革、統制経済が中心的な手法だった。

 パイの大きさは一定のまま、その切り分けをいかにGHQ目線で「公平」にするかが課題だった。パイの大きさを拡大してしまうと、日本がまた英国の脅威になるとGHQは信じていたと思われる。GHQが日本へ向けた視線は、今日、中国政府がウイグル族などに向けている視線と共通していることに注意されたい。

 この経済民主化=日本停滞化政策の中で、過剰人口論と優生思想が活発化していった(参照「日本の人口問題:50年前の人口爆発」柳沢哲哉=埼玉大理事・副学長=著、「占領下日本における人口・優生政策」山本起世子=園田学園女子大教授=著)。その主役はもちろんGHQだったし、特に占領の前半では国内における政策パートナーとも言えた左派勢力、左派的知識人たちであった。
石橋湛山元首相 
石橋湛山元首相 
 GHQ側の動きとしては、1947年に来日した人口学者のW・S・トムソンの貢献が際立っている。トムソンは「世界人口の危険区域」(1929年)で、過剰人口によって日本が戦争を引き起こすだろうと予想していた。トムソンはトルーマン大統領の命を受けて、日本の「過剰人口」問題をフィールドワークし「トムソン声明」を公表した。内容は、日本の過剰人口は、生産性や貿易の拡大では到底賄いきれないもので、産児調節が必要だというものだった。パイの大きさを一定にしたままでも、人口が減少していけば、見かけ上は1人当たりの生活水準が上昇する。その意味では、日本の再軍備化を抑圧することも可能だった。前掲した論文で、柳沢氏はこう指摘している。

また、1948年に優生保護法が成立しているが、この時期にGHQの意向を 無視して立法が行われたとは考えにくい。事実、優生保護法案の提 案者の一人である日本医師会元会長谷口彌三郎議員は、GHQ天然資源局のアッカーマンの発言に言及しながら提案理由を説明してい るのである。それゆえ、産児制限論はGHQ内部でも一般的な見解であったということができる。

 48年に可決された優生保護法は、「人口の資質向上」という題目のもと、優生思想が色濃く出ている法律として知られる。ここでの優生思想とは、「不良な子孫」をもたらすことを防ぐという理由を主としたものだ。優生目的の不妊手術の範囲もどんどん拡大され、その弊害は法律が廃止された今日まで残っている(参照「優生学と人間社会」米本昌平ら著)。また、中絶に関する規制も大幅に緩和された。