濱田昌彦(元陸上自衛隊化学学校副校長)

 震災と原発事故対応もようやく一段落した2012年夏、私は埼玉県大宮市にある陸上自衛隊化学学校で退官の日を迎えた。退官の際に、副校長室と(納戸も兼ねている)自宅書斎はかなりの大掃除を必要としてしまった。そこで古い筆記具類も大胆に捨てていった。断捨離である。

 そんな中、ふと1本のボールペンに目が留まった。側面に何やら印象深い文字が書いてある。そこには、「福島第一原子力発電所」と印字してあった。捨てかけたボールペンではあったが「このボールペンは捨てられない」と、大切にしまうことにした。このペンは、この先も安全神話という空気の支配を常に思い出すために。

 元々このボールペンは、あの福島第1原発へ震災前に研修に行った際のお土産でいただいたものだ。その研修は、もう15年以上も前のことになる。ボールペンを見たその瞬間私の脳裏には、あの当時の記憶が鮮やかによみがえってきた。震災発生の6年前である05年、私はこの原発に研修として訪問した。

 今では震災と事故により変わり果ててしまった福島原発ではあるが、正門の美しい風景や中央制御室の内部パネル、敷地に下っていく坂道など、美しく整備された施設たちの姿が鮮明な記憶として残っている。

 当時、東電の広報担当者は安全システムについて誇らしげに語っていた。「この原発の安全性は完ぺきなものです。事故が起こることはありません。陸上自衛隊に支援を求めるようなこともないのでご安心ください」そんな趣旨だった。

 これがいわゆる「安全神話」だったのかと今になって思う。空虚な安心感の中で、私も含めた陸自幹部でさえ、10年前の事故が起こることを想定していなかった。
水素爆発から1日たった福島第1原発3号機原子炉建屋=2011年3月15日(東京電力提供)
水素爆発から1日たった福島第1原発3号機原子炉建屋=2011年3月15日(東京電力提供)
 震災前、実は化学学校の教育部長時代から「ヘリによる上空からの放射線量率測定の教育訓練はもう必要ないだろう」と私自身、提唱していた。恥ずかしながら、原発事故など日本ではありえないと周囲に言っていたのを覚えている。それよりも、化学テロ対処のような喫緊の課題に取り組もうと考えていた。

 実際、千葉県の木更津市にある陸上自衛隊のヘリ部隊にわざわざ埼玉の大宮まで来てもらい、放射線源を使って少数の幹部学生の教育をするのは効率的とも思えなかった。また、上空からの線量率測定を実行する場面が近い将来起こり得るだろうかとも思えたからだ。