また、核戦争が勃発したり核ミサイルが飛んでくるといったことも当時は考えにくかった。北朝鮮情勢が緊迫するのは、震災からずっと後のことである。いずれにせよ、あの事故がなければこの教育細目は消えていたかもしれない。

 ところが原発事故により、この教育訓練は大いに役に立つことになった。事故当時、大宮から飛び立つヘリのパイロットは放射線を防ぐための鉛の防護服を着ては操縦ができず、座席の座面にそれを敷いて飛び立っていった。

 そのときの土煙を、今でも思い出す。幸い取り止めなかった放射線の空中測定訓練を経験したパイロットたちも、数多く残ってくれていた。なお、ヘリによる放水冷却の前日に空中から3号機、4号機の線量率測定が実施されていたことは、あまり知られていない。

 いずれにしても、自分にいかに先見の明がないか、また世の中の空気に流されやすいかを恥じ入るばかりである。

 退官から7年後の19年に、福島県郡山市で講演したことがある。そこでは経営者の方々が震災復興にとても主体的で、意識の高いものを感じた。それでも、放射能は怖いという空気が会場に満ち満ちているのは衝撃であった。

 確かに、放射線や放射能が怖いのは間違いないだろう。しかし、福島に関しては事故後の早い時期に国連の専門機関から安全宣言にあたるものが出されている。例えば14年4月には「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)報告書:福島での被ばくによるがんの増加は予想されない」とプレスリリースさえ出されている。

 しかし、そのことを郡山の人々は知らない。国連の関係者はわざわざ来日し福島まで来て講演会まで開いてくれたらしい。放射線と福島の現状の正しい理解を普及するためである。ところが、実際の講演では人が集まらなかったそうだ。
福島第1原発事故を受けて、警戒区域で側溝にたまった高線量の落ち葉などを撤去する自衛隊員ら=2011年12月8日、福島県・浪江町役場前(大西史朗撮影)
福島第1原発事故を受けて、警戒区域で側溝にたまった高線量の落ち葉などを撤去する自衛隊員ら=2011年12月8日、福島県・浪江町役場前(大西史朗撮影)
 さらに当時のメディアや一部のデマゴーグたちによる扇動的な言葉によって、「放射能は怖い」という空気だけが独り歩きしてしまった。そこには、サイエンスは不在であった。上述の通り、残量放射線が科学的に安全だと証明されたなら、それらは怖い存在でなくなる。
 
 こう考えると、科学者の役割の一つには「一般市民に正しいサイエンスの部分を分かりやすく伝え、広報することもまた求められるのだ」と感ずる。