一見、平和を享受するような前代未聞のイルミネーションだが、これはイエズス会の巡察師ヴァリニャーノに見せるための壮大な仕掛けでもある。信長は前後して彼に城内を案内し、城を描いた図屏風(安土城図屏風)を贈っているが、一連のもてなしはすべて彼を通じてヨーロッパに信長の力と勢威を知らしめることを目的としていた。

 「例年ならば家臣たちはすべて各自の家の前で火を焚き、信長の城では何も焚かない習わしであったが、同夜はまったく反対のことが行なわれた。すなわち信長は、いかなる家臣も家の前で火を焚くことを禁じ(た)」という、フロイスの記述が物語るように、信長は通常の盆行事そのものを禁止し、盆提灯を天主のみに集中させたわけだが、これは信長が家臣たちの祖先の祭祀をも超越する存在だという宣言でもある。

 そして、ヴァリニャーニやフロイスらは摠見寺も見学したようだ。天主の一層目の書院には盆山が置かれていたことは以前に述べたが、この寺の一番高い所─現存する三重塔の最上階だろうか─にも盆山(盆石)が安置されたことをフロイスは記している。

 世界を表す盆山は、ミニ枯山水とも言える。庭園にしつらえられる枯山水は中国に起源し、秦の始皇帝が都・咸陽の宮廷の庭園に池を造らせ、その中に築山を築いて不老不死の仙境・蓬莱島(蓬莱山)を再現し、永遠の命と繁栄の理想世界を表現したのが代表的な例だ(「中国庭園の初期的風格と日本古代庭園」田中淡)。この水を砂に置き換えたのが枯山水、さらにそれを極小化しポータブル化したのが盆山(盆石)ということになる。

 信長は盆山だけでなくこの枯山水にも執着していたようで、最近になって彼の「火車輪城」こと小牧山城の天守すぐ下からも、玉石と立石が組み合わされた枯山水と推定できる庭園の跡が発掘されている。(写真)そして、信長は安土城天主にも摠見寺=俗と聖、政治と宗教の双方に永遠の理想世界である枯山水の縮小版・盆山(盆石)を飾らせた。

 ここで興味深い話を紹介しよう。時間は遡って永禄11(1568)年10月、彼が上洛戦を敢行した際、松永久秀が献上して来た茶入(ちゃいれ)「九十九髪茄子(つくもがみなす)」についてである。

 「作物記(つくものき)」(「総見記(織田軍記)」「信長記」)というこの茶器についての当時の解説文が残っているのだが、それによれば昔、中国ではこの茶入を蓬莱假山の頂きに安置し、如意宝珠(にょいほうじゅ)として崇めていた。如意宝珠は全ての願いが叶う霊力を持つ珠(たま)で、日本では院政期以来、中世王権の象徴と考えられてきた。ここでいう「蓬莱假山」は無論屋外の庭園の枯山水の築山ではなく、屋内に置かれた盆山(盆石)を指す。その上に九十九髪茄子を置けば、それは如意宝珠と化すのだ。

 如意宝珠は龍が持つ宝珠(ドラゴンボール)でもあり、天下人の象徴として九十九髪茄子を献上した久秀に対し、信長は文字通り愛する盆山の意味を補完し、万能・全権を実現するアイテムと捉えて非常に喜んだ。後に久秀が2度に渡って謀反を起こしても許そうとしたのは、このときの喜びが大きく影響したのではないだろうか。

 さておき、信長は安土城天主と摠見寺の2箇所に安置した盆山のいずれかの頂きに、この九十九髪茄子を安置したものと思われる。龍神のパワーを追求し続ける信長は、ついに蓬莱山と如意宝珠という究極のアイテムの組み合わせを公開したのである。
織田信長の肖像画=鳴虎報恩寺所蔵(iRONNA編集部撮影)
織田信長の肖像画=鳴虎報恩寺所蔵(iRONNA編集部撮影)
 全てのものの上に立つ。彼はもはやその野望を隠そうともしていない。翌8月には畳職人の石見宗珍に〝天下一〟の称号を与えてお抱えとし諸税を免除。続いて9月には絵画の狩野永徳、金工の後藤平四郎、大工の岡部又右衛門、奈良大工らに多数の小袖を下賜したのも、美術工芸分野の技能でも信長こそが日本唯一の価値基準となることが高らかに宣言されたわけだ。

 もちろんヴァリニャーニらも信長の意図は完全に理解していた。フロイスが「デウスにのみ捧げられるべき祭祀と礼拝を押領するほどの途方もなく狂気じみた言行と暴挙」と評したのがまさにそれだ。ヨーロッパでも世俗の権力はスペインのフェリペ国王ら、宗教的権力はローマ教皇と完全に分立しており、聖俗両方の絶対的な独裁者たらんとする信長の存在は、もはや危険極まりないものにしか映らなかったのである。