林信行(ITジャーナリスト)

 この1年間、われわれは新型コロナウイルスの感染拡大と経済破綻という2つの恐怖の間を行ったり来たりしていた。2020年3月にコロナ対策の特別措置法が成立し、4月に第1回の緊急事態宣言。しばらくの自粛期間を経て感染者増を抑えられたので、秋ごろからGoTo トラベルやGoToイートといったキャンペーンで危機的な状況に陥った経済を回そうとすると、再び感染者が増え2度目の緊急事態宣言が発令された。感染の規模を抑えつつ、経済活動を最大化させるのが理想だが、実践するのは難しいと学ばされた。

 だが、極端に走らずとも、感染の制御と経済活動をバランスよく保つ画期的なテクノロジーがある。世界の疫学のプロたちが考えていたDigitalContactTracing(デジタル接触追跡)という技術だ。この技術は紆余(うよ)曲折を経て「接触確認技術」と呼ばれるようになり、日本では「COCOA(ココア)」というスマートフォン用アプリとしてリリースされた。

 だが、陽性者との接触が通知されない不具合が長期間修正されていなかったことが発覚し「大失敗」に終わった。だが、失敗したのはアプリの開発方法だ。感染拡大のリスクを低減しつつ経済を回し続ける上で、役に立つ技術であることに異論はないだろう。今、そのCOCOAが新しい体制の下、再出発しようとしている。改めてCOCOAでどんな間違いが起き、どのように修復されようとしているのか、歴史とともに振り返ってみたい。

 「デジタル接触追跡」の考えは、最初のiPhoneが登場した2007年頃からあったとされる。名前からデジタルをとった「接触追跡」は、それより前から行われていた。つまり、感染者に最近、誰とどこで会ったかを聞き取り、会った相手の状態を調べることで感染拡大を抑えるというものだ。

 これをデジタル化した「デジタル接触追跡」を、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大後、いち早く採用して成果を挙げたのは、2015年に中東呼吸器症候群(MERS)という感染症を経験していた韓国だった。同政府のIT部門、韓国疾病管理本部(KCDC)がシステムを開発。国民がCOVID-19にかかると、その人のスマホに記録された衛星利用測位システム(GPS)の位置情報や交通カードの利用履歴、防犯カメラ映像を使って、2週間の動きを追跡する。そして、感染した可能性がある人たちを追跡、特定して予防策をとるというものだった。このやり方は大きな成果を挙げ、2020年4月に同国で大規模な総選挙が行えたのも、この技術のおかげという評価もあった。

 しかし、プライバシーの侵害だとして大きな波紋を呼ぶことにもなった。人には、どこに行っていたか、誰と会っていたかを隠したい場合がある。それを無視するやり方を問題視する声も多く、有識者も相次いで「コロナ禍が監視社会を推進する」と警鐘を鳴らした。

 こうした方法では、望んだ効果が得られないという結果になる恐れもある。不満を持つ人々がスマホを持たずに外出したり、一時的に電源を切ったりするという行動を誘発するからだ。

 この韓国の事例の後、米国の大学を含む研究機関やヨーロッパの政府、そしてシンガポール政府がプライバシーに配慮した「接触追跡」の技術を発表し始めた。

 基本的な仕様はこうだ。Bluetooth(ブルートゥース)という通信技術を用いて、見ず知らずの人であっても近くに長時間いると「接触」したという記録がスマホの中に保存される。ただし、情報は暗号化されており、お互いの素性を知ることは一切ない。また、COVID-19の発症期間といわれる2週間を過ぎると、記録は自動的に抹消される。

 陽性と診断された旨を登録すると、その陽性者との接触記録があるスマホ上で暗号が解除され、画面にコロナ感染者に接触していた旨が表示される。これを使ってPCR検査などを受けることができる、というのが基本的な仕様だ。

 この仕様を真っ先に成功させたのはTraceTogetherというアプリだ。約1年前の2020年3月20日、大きなIT開発部隊を持つシンガポール政府内で開発された。だが、このアプリにも問題があった。バッテリーの消費が激しく、またiPhoneとAndroidスマホという、基本ソフト(OS)が異なる機種では記録がうまくとれないことがあったのだ。
新型コロナウイルス感染者との濃厚接触者を追跡する端末を受け取る男性=2021年9月14日、シンガポール(共同)
新型コロナウイルス感染者との濃厚接触者を追跡する端末を受け取る男性=2021年9月14日、シンガポール(共同)
 こうした状況を見て、世界の疫学のプロフェッショナルらが、それぞれのOSを開発するアップルとグーグルに協力を要請。これを受けてIT業界の両雄が手を取り合って動くこととなった。

 アップルとグーグルは2020年4月10日、接触確認アプリの開発で協力することを発表し、技術の実現に必要な仕組みをOSそのものに組み込むことを明らかにした。これによってバッテリー消費を抑えながら、より確実な接触の確認が行えるようになり、iPhoneとAndroidスマホ間でも接触の確認をするための基礎ができた。

 このとき、両社はこの技術を2つのフェーズで提供すると発表している。まず、第1フェーズでは、いち早く技術を提供するべく、OSには基本的な技術を盛り込むだけにとどめる。各国政府がその技術を応用して独自のアプリを作って提供するというフェーズだ。どれくらいの距離に何分以上いたら濃厚接触と判断するかといった基準が政府ごとに異なっている点からも、こうした作り方のほうが望ましい部分があった。

 第2フェーズではOSそのものに全機能を搭載する。つまり、アプリを入れなくても接触確認が取れるという状態だ。しかし、先述したように、国ごとの基準の違いなどに配慮したのか、既にiPhoneもAndroidもOSレベルで接触確認の機能が組み込まれているにもかかわらず、今でも各国政府が提供するアプリを使って情報を確認する仕様になっている(2021年3月現在)。

 なお、アップル社は他の製品の開発でも一貫してプライバシー保護に配慮する姿勢を貫いている。両社が開発した共通の技術基盤でもプライバシーについてはシンガポール政府以上に厳しい配慮を行った。また、技術の総称も、それまでの「Contact Tracing(接触追跡)」だとプライバシーを侵害するイメージがあるということなのか、「Exposure Notification(ばく露通知)」という呼称になったが、日本では「接触確認」と呼ばれることになった。

 日本では、シンガポール政府の動きを受けた形で接触確認アプリの開発が始まった。TraceTogetherがリリースされた3日後の3月23日、日本にもこういうアプリがあったほうがいいというソーシャルメディア上の会話から、「Code for Japan」という団体の中で開発チームが結成されたのだ。CodeforJapanはプログラム開発などができる市民が力を合わせて社会課題を解決しようという「シビックテック」の団体だ。米国やタイでは、大規模な自然災害が起きたときに、政府や地方自治体では手が回らない課題を、テクノロジーの力で解決するといった形でシビックテックが活躍している。