上西小百合(元衆院議員)

 日本国憲法第3章では「両性の本質的平等」(男女平等)について規定されているように、日本でも男女平等の社会を築くべく、多くの国民が闘ってきた歴史がある。

 その血のにじむような努力の結果、例えば昭和21(1946)年4月10日には戦後初の衆議院議員選挙で、日本で女性の参政権行使が実現したのだ。

 もちろん、現代はその頃と比較すると労働や雇用における女性の権利に関する法律は随分と進歩したものになってはいる。しかし、いまだに女性の社会進出には岩盤のような障壁が立ちはだかっているような気がしてしまう。

 日本維新の会代表である吉村洋文大阪府知事が今年1月に発言した「ガラスの天井」もその一つだ。府のトップである知事が誤った意味として使うほど、一部の頭の固い男性政治家からすれば、社会で活躍しようとする女性の存在など認められないものなのであろう。

 それは国民を代表する立場の政治家からジェンダー問題発言がなくなるどころか、いまだ頻発していることにも表れている。記憶に新しいものは、森喜朗東京五輪・パラリンピック大会組織委員会前会⻑の「女性がたくさん入っている理事会(会議)は時間がかかります」という発言だ。

 森氏は失言であると釈明したが、私には失言などではなく、戦前教育などによって心の底に染み付いた本音がこぼれてしまったようにしか見えない。昭和12年生まれという森氏の年齢を考えると、「女がでしゃばるな」という考え方があっても不思議ではない。

 倫理的には疑問符がつけられようとも、思想は人それぞれであるから、これが隠居後のつぶやきであればスルーできるのかもしれない。けれども世界から注目され、多大なる権限を握る役職に就任しておきながら、公でそのような発言を堂々と行ったということはいまだに日本が「女がでしゃばるな!3歩後ろを歩け!」とか、「女性が男性と同様に活躍するなど厚かましい!」という思想の国であると世界中に刻み込んでしまった気がして残念でならない。

 こういう議論のときに必ず出てくるのが「男性が『女性は~』なんて言うというと批判されるが、女性が『男性は~』といってもさほど問題視されないのは不公平だ」という声だ。私はこれをナンセンスだとしか思えない。

 これまでの歴史を俯瞰(ふかん)してみると、男性は社会構造上、女性より多くの権利を手にしていたのも事実だ。選挙権や職業選択の自由、雇用機会などがそれにあたる。その優遇されていた男性が「女のくせに…」という発言をすることが問題なのだ。

 例えてみれば、裕福な人が「貧しいくせに~」と言うことと、貧しい人が「金持ちのくせに~」と言うことの心象や問題性の違いを考えてみてもらえば分かりやすいのではないか。裕福な人は選択の自由の幅が広いものの、貧しい人のそれではその余地が少ないのは自明ある。

 それゆえに森氏のこのような声は、実は「男女共同参画社会の実現を何としても食い止めたい」という気持ちの表れなのではないかと感じてしまうし、世界的に見ても遅れている女性の社会進出の現状を作り出す要因になっていることに他ならない。
東京五輪・パラリンピック組織委の評議員会と理事会の合同懇談会で、会長辞任を表明する森喜朗氏=2021年2月12日、東京都中央区(代表撮影)
東京五輪・パラリンピック組織委の評議員会と理事会の合同懇談会で、会長辞任を表明する森喜朗氏=2021年2月12日、東京都中央区(代表撮影)
 森氏に似た政治家の発言でいえば、日本維新の会前代表である松井一郎大阪市長のコロナ禍における外出自粛を促す発言に衝撃的なものがあった。

 それは「やっぱり女の人が(スーパーなどに)行くとね、いろいろ商品とか見ながら『これはいい』『あれがいい』と時間がかかる」という主婦からすれば家事一切を放り出してしまいたくなるような無礼極まりない発言である。