なぜ森氏や松井氏のように、そこまで女性を見下さなけらばならないのか本当に不思議になってしまう。しかし、残念なことにこのように女性をばかにする頭の固い政治家が多く存在するというのが現在の女性を取り巻く惨状なのである。

 国民からすれば、そんな人たちに「男女共同参画に協力してください」などと言われても、安っぽいコントでも見せられているような気分にしかならないのではないだろうか。それではいつまでたっても真の男女平等など実現しない。

 実際に私の経験から男女平等について考えてみよう。私は神戸女学院大という女子大を卒業し、運よく女性が多く活躍する職種の企業で会社員勤めをすることができ、その後は衆院議員になった。

 恵まれたことに議員になるまでは前述のように女性が過ごしやすい環境に囲まれており、「女性は生きにくい」などと特段感じたことはなかったのだが、それが政界に入り一転した。

 まず初めて本会議場で着席したときに、女性議員の比率の異様な少なさに驚きと恐れを抱いた。そして女性議員だからこそ受けた衝撃的なこと、特に分かりやすい例を挙げれば、私が委員会質問の席で自民党議員から投げかけられた「早く子供を産めよ!」というマンスプレイニングが過ぎるヤジ、懇親会の席で同席者(一部の議員や有権者)からのいわゆるホステス扱いの対応などである。

 つまり、女性議員が男性議員と同様に政策について議論しようとしても、「まぁまぁ女なんだからそんな難しい話をしないでよ、面倒くさいな」などと言わんばかりの反応を随所で押し付けられるのだ。

 社会において女性が当たり前に職務を遂行しようとしても、邪険にする人たちの存在を私は皮肉にも国民の模範となるべき政界に入って初めて身に染みて感じさせられた訳だが、これこそが日本の女性たちが男性と比較しいかにハンディーを背負わされているかということを集約ないし例示したものであろう。

 歴史により刻み込まれたことを変えるのは非常に困難なのかもしれないが、女性が男性と同様に普通に生きられる社会をつくり、男女共同参画社会を目指すことは日本経済の発展につながり、男性にとっても住みよい社会になることは間違いない。

 「男性は仕事、女性は家庭」という時代にそぐわない決めつけの価値観に縛られずに、「男は強くなければ!」「女は支える側でなければ!」などと古い思い込みは取っ払っておのおのが得意な役割を担えばいいのだ。

 家事や子育てなど家庭を支えることを得意とする男性が主夫になり、社会に出て活躍し稼ぐことを得意とする女性が外で働くという選択肢にも支障があってはならない。

 男女関係なく、それぞれが一人の人間として尊重され、各々の個性が重要とされる社会にするためにも、まずは視野の広い政治家を多く選出することが必要だ。
1985年の男女雇用機会均等法成立に先立ち、同法案を可決した参院社会労働委員会の傍聴席に詰めかけた女性たち 
1985年の男女雇用機会均等法成立に先立ち、同法案を可決した参院社会労働委員会の傍聴席に詰めかけた女性たち 
 それこそが政治家たちがよく口にする「次世代のためにツケを残さない!」ことにつながり、男女参画や主権者教育といった教育分野を進めていく礎になるであろう。すべての国民が自由な生き方を選択できる時代を目指したいものだ。

 なお今回が最終回ということで、私の言いたい放題にお付き合いくださった心温かい読者の皆さま、iRONNA編集部に心より感謝を申し上げます。またどこかでお会いできることを楽しみにしています。