吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表)


 東日本大震災は今年の3月11日で丸10年の節目を迎えた。その翌12日に私の事務所と一般財団法人尾崎行雄記念財団の共催、近代消防社、iRONNAの協力により、震災当時、消防庁長官だった久保信保氏、東京消防庁長官だった新井雄治氏を講師に招きシンポジウムを開催した。

 そのときにいろいろな話題が出たが、その中で私が最も心に残ったのは、あれだけの災害が起きたにもかかわらず、なぜ10年経っても日本版「危機管理庁」が創設されていないのか、という疑問だった。

 思えば私がワシントンDCに事務所を構えてしばらくした2011年3月11日に東日本大震災が起こった。これを契機に、以前から会員だった一般社団法人日本安全保障・危機管理学会のワシントン事務所長にしていただき、米国の危機管理システムに関して同学会会報に連載した。

 さらに、それが近代消防社から何冊かの書籍にまとまり、日本国内での立場も向上し尾崎財団との共催で定期的な講演会も行えるようになった。いわば3・11とは、今の私の原点である。

 こうした中で、日本版「危機管理庁」の必要性を強く感じたのだが、いまだ実現していないのは、議論に混乱が生じているからであろう。ゆえに、早急にその議論の混乱を解消する必要があると思う。

 「危機管理庁」と聞くと、危機発生時の司令塔のようなものが連想され、現状の日本では、内閣危機管理監室がある程度果たしているといえるだろう。

 大規模災害などの発生時には、かつて同室などに在籍し、元の省庁(総務省、警察庁、防衛省、国土交通省など)に戻っている人材が、馳せ参じるシステムがある。映画「シン・ゴジラ」で「緊急参集チーム」と呼ばれているものである。

 このような態勢をとることで、常設の「危機管理庁」より、予算や人員の無駄を省くことが可能になる。国家の存亡や国民の生命・財産も重要であるが、やはり国家財政の限界も考えなければならないのはもっともだ。

 そもそも内閣官房は首相直轄であるため、強力なリーダーシップを備えた首相なら、内閣官房が危機発生時の司令塔である今の制度は、決して間違っていない。むしろ望ましいのかもしれない。

 だが「危機管理庁」には危機発生時の司令塔以外にもう一つの重要な意味がある。それは平時に危機発生時の準備をする役割だ。

 都道府県をまたいで地震、津波、水害、事故そしてテロなどが起きたとき、また、「想定外」というような未経験の危機が起きた際に、どう対処するかを、平時から議論し、訓練を積み重ねていることが何より重要だ。
Jヴィレッジ内で福島第1原発事故に対応する自衛隊員を激励する菅直人首相(当時)=2011年4月、福島県(内閣広報室提供)
Jヴィレッジ内で福島第1原発事故に対応する自衛隊員を激励する菅直人首相(当時)=2011年4月、福島県(内閣広報室提供)
 こうしたことを通じて初めて自衛隊、警察、消防、自治体、医療機関などが、想定外の危機発生時に、スムーズに協力し対処することが可能になるのではないか。

 また、訓練を通じて、どこの自治体の消防や警察に、どのような機材が足りないかなども明確になる。そこに国からの補助金を付けたりすることも「危機管理庁」の重要な役割である。