15年には陸軍力指数が3分の1になったドイツをはじめ、ヨーロッパ各国で大幅に陸軍が削減されている。それにより独仏伊の3国の陸軍力指数は、ロシアの西部軍管区、南部軍管区の合計と同程度となっている。

 特筆すべきは、ロシアと国境を接しているバルト三国のうちラトビアとリトアニア、そしてウクライナも兵力を大幅に削減していることである。

 一方、NATO加盟国のエストニアとポーランドは陸軍力指数をほぼ維持しており、ラトビアとリトアニアとは対照的である。

 ちなみに15年における欧州各国のNATO軍の陸軍力指数総合計は、およそ1965であり、ロシアの陸軍力指数は442であった。さらに図2のようにNATO空軍の優位も当時拡大しており、NATO軍と通常兵力による全面戦争になれば、ロシアが敗北することに変わりはなかった。
ヨーロッパの空軍力指数の推移(出典:筆者作成)
図2.ヨーロッパの空軍力指数の推移(筆者作成)※クリックで拡大


 なお、14年のクリミア併合に始まるウクライナ危機は、基本的に短期的軍事問題であり 、国際的なパワーの分布や構造の観点で見ると、軍事力が国家のパワー要素の大きな部分を占めていたと考えられるので、そのような前提で議論する。

 既述の通り、そもそもロシアは歴史的に西欧諸国との間に緩衝地帯を必要としており、ウクライナのNATOへの加盟には何度も警告を発している。このような警告の後、ジョージアの例に見られる通り、可能であれば軍事力による干渉も辞さないのがロシアである。

 だが、ロシアと国境を接するウクライナは、そうした厳しい軍事的環境にあるにもかかわらず、NATO諸国同様にリーマンショック以降、軍事費削減の流れに沿って陸軍の装備を大幅に削減した。NATO軍が域外に兵力を派遣するには加盟国の全会一致が必要で、ウクライナへの軍事的支援を受けられる見込みがないにもかかわらず軍縮が行われた。

 もし、ウクライナがポーランドやエストニアのように2010年と同レベルの軍事力を保有していれば、ロシアは軍事介入できなかったであろう。ロシアはバルト三国が04年にNATOに加盟したときのように、ポーランドなどの加盟プロセスを含め、NATO諸国との歴然たる軍事的格差により介入が実行不可能な場合は、軍事力を行使しなかったからである。

 このような観点からすると、理解できないのは、ロシアと直接国境を接し、NATO非加盟国であるウクライナが、10~15年に大幅に陸軍力指数を削減した後の対応である。

 ウクライナ経済はロシアからの天然ガス供給問題や経済改革の停滞などによって極度に低迷しており、軍事力削減は無理からぬところではあった。また、ヴィクトル・ヤヌコビッチ政権が親露的であったからこそ、陸軍削減が可能だった。

 逆にそういう意味で、陸軍の削減はクリミア危機時点での政府の責任でもない。しかしそれゆえに、軍事力の視点に立てばロシアとの対立は避けるべきであった。現に同じくNATO非加盟国であるベラルーシは、ロシアとの集団安全保障条約に加盟しつつ、ロシアへの併合は拒否するという外交スタンスを保っている。
2014年 ウクライナの政変で反政権デモ隊が拠点とした首都キエフの独立広場。(遠藤良介撮影).jpg
ウクライナの政変で反政権デモ隊が拠点とした首都キエフの独立広場=2014年(遠藤良介撮影)
 それに対し、オレンジ革命をはじめとしてウクライナは、民主化とNATOへの加盟を切望する政治勢力がしばしば政権を握っていた。このように、14年のウクライナ危機は、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領が逃亡し、民主化とNATOへの加盟を望むオレクサンドル・トゥルチノフ暫定政権が成立したのをきっかけに始まったと見ることができる。

 新政権成立時の14年初頭には、ウクライナの陸軍力指数は2010年の2分の1である88まで低下していた。その一方で、ウクライナと国境を接するロシアの西部軍管区の数値は111、南部軍管区は107であり、ウクライナの領土奪取やウクライナの政情不安定化を可能とするだけの軍事力があり、ロシア財政も原油価格高騰により潤沢であった。