したがって、東欧において軍事力を中心としたパワーの面でいわゆる力の真空が発生し、ロシアがジョージア侵攻を行ったこととあわせ考えれば、ロシアによるウクライナに対する武力行使の発生や国際システムの不安定化が起こるのは明らかであった。

 トゥルチノフ暫定政権としては、当面ロシアと妥協しつつ、ウクライナ軍の支持を得て予備役を招集し、全土に非常事態を宣言してしばらく戦時体制を維持しながら選挙を行うのが現実的選択肢であった。しかし現実は、参謀総長すら欠いたままロシアのクリミア侵攻を迎えたのである。

 このような結果を生んだ根本的原因は、主として米国の歴代政権が国際政治の現実を無視して、ウクライナの親西欧側勢力に何の軍事的裏付けもなく、民主化とNATO加盟の夢だけを与えたことにある。そして夢を与えられた側も国際政治の現実を見ないまま行動し、ロシアに付け入る隙を与えてしまった。

 ロシアのウクライナ侵攻後、米陸軍は自ら企画し実施した図上演習を元にランド研究所に論文を作成させ、ロシアの能力を評価し、「ロシア軍は60時間でラトビア、エストニアの首都に到達しうる」とした結論を下した。

 この論文は有力メディアや米欧州陸軍司令官などあちこちで引用され、ロシアの脅威が過大評価された。図上演習は、シナリオの設定次第で結論をいかようにも操作できる。つまり、将棋でわざと負けたのと同じである。

 しかし、現実のロシアの軍事力はNATO軍を相手にするには小さすぎるのである。ロシアの西部軍管区は、ラトビアから大体1500キロの範囲に収まるが、その圏内にあるNATO軍の陸軍力指数合計は15年当時、西部軍管区の3倍であり、ポーランド一国で西部軍管区全体と同じぐらいの軍事力を有していた。

 ラトビアから2千キロ圏内にはトルコが入るが、15年にはトルコ一国だけでロシア陸軍全体の約2倍近く強力な陸軍を保有していた。このようにランド研究所による研究ではヨーロッパの軍事バランスを全体として見る視点が全く欠落している。

 米議会予算局(CBO)によれば、冷戦末期の中央ヨーロッパのADEを算出すると、ワルシャワ条約機構の諸国軍がNATO諸国軍を1・5倍前後勝っていた。また、筆者の陸軍力指数で再計算するとパリティであった。それゆえに、ソ連崩壊によって衰退した現在のロシア軍に大騒ぎするのは妙な話である。

 したがって、冒頭で述べたワルシャワサミットによるNATOが行った部隊配備はそもそも不要であった。この部隊配備は「前方プレゼンス配備」(EFP)と呼ばれ、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニアにそれぞれ千人のNATO軍がロシア国境に常駐し、有事の際には即応するというものだ。

 だが、結果としてこのEFP配備がロシアによる軍備増強をもたらし、バルト三国およびポーランドへの軍事的緊張を高めることになってしまった。

 そもそもバルト三国のEFP配備の希望を無視したところで、NATO軍は第5条事態(集団的自衛権の発動)になれば同盟として必ず介入するし、そうでなければNATOという同盟は崩壊してしまう。ロシアを刺激してまで、EFP配備を進める必要はなかったのだ。
2015年 演習のためエストニアのアマリ空軍基地で待機する米軍のF16戦闘機 =エストニアのアマリ空軍基地(内藤泰朗撮影)
演習のためエストニアのアマリ空軍基地で待機する米軍のF16戦闘機=2015年、エストニアのアマリ空軍基地(内藤泰朗撮影)
 ロシアは、EFP配備を97年のNATO・ロシア基本文書における新加盟国の領土において、「実質的な戦闘部隊の付加的で永続的な配置」を行わないことに違反していると主張した。

 当事国のロシアがそう言うのであるから、NATOが「基本合意違反ではない」といっても詮無きことである。ロシアは合意違反という認識に基づき、西部軍管区に2個師団、南部軍管区に1個師団増強すると宣言し、実際に増強している。