その結果、バルト三国正面の兵力比率は大幅に悪化した。ロシアの防衛力整備計画は、財政難を理由に実行されないことが多い中、対NATO正面の陸軍兵力をいかに重視しているかが分かる。

 具体的には、16年5月、NATOによるバルト三国などへのEFP配備がメディアにより明らかにされ、NATO事務総長などによって確認されると、ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相はNATOに対抗するために、西部軍管区に2個師団、南部軍管区に1個師団を新設すると発表した。その後、7月にワルシャワで行われたNATOサミットにおいて、バルト三国へのEFPの部隊配備が正式決定されてしまった。

 そしてミリタリーバランス2020年版によると、西部軍管区のロシア軍は約2個師団、南部軍管区のロシア軍は約1個師団実際に増強されていることが、軍管区の編成上もロシア全体の陸軍力指数の評価からも明らかになった。

 この結果、20年のバルト三国正面の西部軍管区は、15年の1・5倍前後の戦闘能力を有することになり、NATOの思惑とは逆に軍事バランスは大幅に悪化したのである。

 民主主義の価値を重視するオバマ 政権が、政府の一部にすぎない陸軍によって振り回された結果、安全保障環境を悪化させしまったわけであるから、これはオバマ元大統領が重視するリベラルデモクラシーの根幹を揺るがすものであった。

 また、現実主義の立場からは、NATO軍が防衛的反応だと考えているものに、ロシア軍のさらなる強硬な対応を招きかえって軍事バランスが悪化する、セキュリティージレンマを生じさせる可能性があるという観点を持つべきであったとの批判が可能であろう。

 こうして米陸軍に対する兵力削減圧力の緩和といった組織防衛の目論見に乗せられて、ロシアに3個師団の増強を決定させ、バルト三国正面の軍事バランスをかえって悪化させたと見ることもできる。

 では、ウクライナ侵攻をもたらした根本的原因は何であろうか。それは、軍事バランスの構造やロシアの考え方を理解することなくウクライナをNATOに引き入れようとしたNATO諸国の政策であり、とりわけ、ロシアを刺激するのに消極的な独仏を押し切ってウクライナを含むNATOの東方拡大を進めようとした米国の歴代政権の政策である。

 ブッシュ政権に続くオバマ政権が、ロシアの勢力圏的発想を19世紀的であるとして認めないのは自由である。しかし、オバマ政権が国際法にのっとってそう主張するだけでロシアを抑止できると考えているのであれば、それはオバマ元大統領のような法律家が陥りがちな考えであろう。

 米露中などの大国は、国益の観点からしばしば国際法を無視したリアリズム的な行動をとるにもかかわらず、オバマ元大統領らリベラルな政治家は、「NATOが団結し、民主主義の価値に忠実であれば勝利する」などと主張する。

 それは民主党政権、共和党政権を問わず米歴代政権が行ってきたゆえ、再度主張するのは何の問題もない。しかし、実際に現実がそうである思い込んでいるように見える点で「現実の国際政治に立脚していないのではないか」という疑念が消えない。
2010年 北大西洋条約機構(NATO)首脳会議閉幕 ラトビアの首都リガで開かれたNATO首脳会議で公式写真の撮影を前にくつろいだ表情の(右から)ブッシュ米大統領、メルケル独首相、ヤープ・デホープスヘッフェルNATO事務総長 =ラトビア・リガ(AP通信)
北大西洋条約機構(NATO)首脳会議閉幕 ラトビアの首都リガで開かれたNATO首脳会議で公式写真の撮影を前にくつろいだ表情の(右から)ブッシュ米大統領、メルケル独首相、ヤープ・デホープスヘッフェルNATO事務総長=2010年、ラトビア・リガ(AP=共同)
 このようにウクライナ危機は、米国およびNATO諸国のネオリアリズム的観点の欠如がもたらした危機であると見ることもできる。これは先日より話題となっているベラルーシ問題を抱える現在に通じる問題であり、ウクライナと同様の轍(てつ)を踏まないよう、注意が必要である。

 とはいえ筆者は、国際ルールを誠実に守る明治期の日本や現代の日本のような国があることを否定するものではない。しかし、米露中のような国は、基本的には国際ルールを守りつつも、安全保障上の問題に軍事力で対応する場合があることを忘れてはならない。(本稿は筆者の個人的見解であり防衛省を代表するものではない)