安倍総理へ3つのお願い


 大東亜戦争に出征して散華し、靖国神社に祀られている台湾人の英霊は2万8000柱。現在、このことを多くの日本人が知らないのは残念である。

 もし、先の戦争における台湾人の死を無駄にしないために、日本は何をすべきかと問われれば、私からは次の3つのことをお願いしたい。

 1つ目は、昨年4月に締結された日台漁業協定に従い、尖閣諸島周辺における日台間の漁業権の問題を円滑に解決することである。この協定は安倍総理のリーダーシップによって結ばれたもので、私は高く評価している。「水面下で私が反対派を説得した」という論文も目にしたが事実無根で、私はいっさい何もタッチしていない。ひとえに安倍総理の決断のおかげだ。実務レベルではまだまだ解決すべき課題は多いだろうが、引き続き安倍総理の指導力に期待したい。

2007年5月、3度目の来日で東京を訪れた台湾の李登輝元総統
 2つ目は、中性子を使った最先端の癌治療技術を台湾の衛生署を通じて台湾の病院に売ってもらうことである。前ページに掲載したのは、1943年、私と両親、兄の家族が一緒に写った集合写真である。兄の嫁やその子供たちを含め、現在でも生きているのは私だけだ。戦死した兄を除くと、ほとんどが癌で亡くなっている。日本と同じように、台湾でも死因の1位は癌である。日本がこの技術を台湾の病院に売らないのは、中国への技術流出を恐れている事情があるのかもしれないが、私、李登輝がそのような事態が起きないよう責任をもつ。

 3つ目は、「日本版・台湾関係法」の制定である。1979年、アメリカは国内法として台湾関係法を定めて台湾との関係を維持し、中国を牽制した。しかし日本では、72年の日中国交正常化にともなう日台断交以来、台湾交流の法的根拠を欠いたままである。

 近年、私は台湾に来た日本の国会議員に必ず「日本版・台湾関係法」の制定について尋ねるようにしている。すると、反対する人はほとんどいない。しかし一部には、中国が反対するから難しいと囁く人がいる。中国が口を出す権利がいったいどこにあるのか。台湾は中国の一部ではない。台湾は台湾人のものである。

 日本が中国の対応を恐れて台湾との義を軽んじることは了解できない。歴史的経緯を顧みれば、台湾の未来について日本にも一定の責任があると考えるのは当然であろう。安倍総理はしっかりとした国家観の持ち主であるようにみえる。直接、お会いして頼むわけにはいかないので「日本版・台湾関係法」の制定についてはこの誌面を通じて深くお願いすることにしたい。

 ちなみに、72年の日台断交は、前から予想していたこともあり、当時の私は淡々と受け止めた。そのころは政務委員として農業問題を担当しており、台湾の農民のことで頭がいっぱいだったこともある。ただ国民党政府は2.28事件(1947年2月28日、台北市で闇タバコを販売していた女性への暴行事件を機に、台湾全土に広がった騒乱。以後、約40年にわたり、台湾は戒厳令下に置かれた)で多くの台湾人を虐殺した張本人であり、心のなかではけっして支持していなかった。戦後のある時期、私は仲間数人と古本屋を開いて生計を立てていたが、そのうち一人を2.28事件で失っている。遺児である息子が父の面影を求めて会いに来たのは、総統を辞めてからのことだった。

 1994年に司馬さんが再び台湾に来て、私と対談したときのことである。どんなテーマがいいか、妻と相談したら、「台湾人に生まれた悲哀」にしようということになった。400年以上の歴史をもつ台湾の人びとはいま、自分の国ももっていなければ、自分の政府ももっていない。国のために尽くすことすらできていない悲哀を抱えている。そんなことを司馬さんに話した。いまでも台湾は国連に加盟できていない。中華民国なのか、台湾なのか、国号の問題もある。私は総統時代に台湾の民主化のために全身全霊で取り組んだが、いま再び国は混乱に陥っている。ただ、若い学生を中心に、真の民主化を望む声が全土に満ちているのは、台湾の未来にとって希望であるとも感じている。

台湾のために十字架を背負って


 昨年、私は大病を患い、いよいよ生命の残り時間を意識するようになった。だからであろうか、兄のことを思い出す機会が増えた。なぜ、兄は妻と幼い子を残して、死ななければならなかったのか。どんな顔をして死んでいったか。なぜ死んだのが兄で、私ではなかったのか。そんなことを思い、ふと夜中に目が覚めて涙を流すことがある。両親を慕う気持ちよりも、兄を慕う気持ちのほうがずっと強いのは、自分でも不思議である。ほんとうに仲がよい兄弟であったと思う。

 兄の霊がいまどこにいるか。いくら考えても、簡単には答えは見つからない。あなた方日本人は、この霊魂の問題をどう考えるのか。米国のアーリントン国立墓地とは異なり、靖国神社には遺骨はない。あるのは魂だけである。これは世界でも特異な例ではないか。「神道は心の鏡」(新渡戸稲造『武士道』)という。ならば兄の霊はいま日本人の心の中にいるというべきかもしれない。靖国神社に兄を祀ってくれて、ほんとうに感謝している。

 私は今年で91歳になった。台湾のためなら、もういつ死んでも構わないと思っている。結局、「生」と「死」というものは表裏一体の関係にある。一回しかない生命をどう有意義に使うか。「死」をみつめて初めて、人間はそれが理解できる。これは私の確信である。しかし、確信は行為に移さなければ、何の役にも立たない。

 なにぶん老齢の身である。身体はなかなかいうことを聞いてくれない。まことに情けない限りだ。しかし、台湾こそ私の生きる国なのだ。台湾のために十字架を背負って、誰を恨むことなく、牛のように一歩一歩、国土を回り、果てる所存である。

李登輝(り・とうき)台湾元総統。1923年、台湾・台北州淡水生まれ。台北市長、台湾省政府主席、台湾副総統などを経て、1988年、総統に就任。1990年の総統選挙、1996年の台湾初の総統直接選挙で選出され、総統を12年務める。著書に、『新版 最高指導者の条件』(PHP研究所)ほか多数。