継承された「匠の技」


 また、ワシントン条約で戦艦新造を禁じられても、日本海軍が「匠の技」の継承を怠らなかった点も見逃せません。

 戦艦は他の艦船とは規模や構造が大きく異なるため、造船工は戦艦そのものに触り続けないと建艦技術を磨くことはできません。

 そこで日本海軍は「改装」という名目で戦艦をたびたび呉、横須賀、川崎、長崎のドックに入渠させ、「実地訓練」を行なうことで工員の技術レベルの低下を防ぎました。一度で済む工事をわざわざ二度に分けることもあり、当時の戦艦は海に浮かんでいるよりもドックに入っている時間の方が長いような場合さえあったほどです。

 モノづくりで大切なのは、工業品を「つくる・つくらない」よりも、常に「つくることのできる力」を潜在的に維持するということです。作る、作らないという選択は、作れる力を持っている場合に限られていることを理解しなければなりません。

 もしワシントン条約を受けて「当分、戦艦を造ることはない」と技術の継承を怠っていたら、その後、状況が変化しても、もはや新鋭戦艦を「つくる」ことはできません。そうなれば大和型戦艦も、設計はできても実現化までは辿りつけなかったでしょう。

 こうした「モノづくりの本質」を押さえていたからこそ、日本海軍は史上最大の戦艦をその手で生み出すことができたのです。