「大艦巨砲主義」は偽り!?


 大和型戦艦については、航空機が主役となった太平洋戦争で活躍できなかったことから、「大艦巨砲主義の愚行」「時代錯誤の無用の長物」と揶揄するむきもあります。しかし私は、そう単純に言い切れるものではないと考えています。

 大和型戦艦の計画をスタートした昭和9年(1934)当時、海軍の主役はあくまで戦艦でした。第一線の軍用機である九五式戦闘機などの航空機は未だ複葉機であり、戦艦がこれに脅かされるとは誰も考えていません。

 よく、山本五十六連合艦隊司令長官の「戦艦は床の間の飾りみたいなものだ」という言葉が用いられますが、これは「そんなに沢山はいらないよ」という意味であり、山本自身、戦艦大和が就役した時にはすこぶるご機嫌だったと聞きました。また、宇垣纏連合艦隊参謀長は「一大威力を得たり」と認めており、彼らが大和の存在を心強く感じていたのは確かです。

 他国に目を向けても、アメリカは戦時中に八隻の新鋭戦艦を造っており(いずれも大和竣工後の登場)、イギリスに至っては戦後もバンガードという戦艦を竣工させています。大和、武蔵より遅れてできた戦艦は少なくないのです。

 むしろ日本海軍は大和型三番艦を、途中で航空母艦に転換し(空母信濃)、建造が始まっていた四番艦の工事を中止しました。すなわち、日本はいち早く戦艦主力から脱却していたのであり、「大艦巨砲主義」とは的外れの指摘に他ならないのです。もっとも、これは、アメリカには空母も戦艦も建造する力があり、日本海軍には建造能力が無かったためでもありますが。