大和が「戦後」に栄光をもたらした!


 とはいえ、戦艦大和と武蔵を戦時中の活躍のみで評価するのは、極めて短見であると言わざるを得ません。

 戦後僅か10年ほどで、日本は造船量世界一になり、長く造船王国となりますが、そのほとんどは輸出船、つまり、昨日まで戦っていた敵国から注文が殺到していたのです。この事実が、世界中が日本の造船技術を認めていた証拠ではないでしょうか。

 その後日本はいわゆる「高度経済成長期」を迎えて経済大国として劇的な復興を遂げますが、その裏には、実は大和型戦艦の存在がありました。

 建造責任者を務めた元海軍技術大佐・西島亮二などが典型ですが、大和型戦艦建造に携わった技術者たちは、いかに能率よく、より優れたモノをつくるかを、徹底的に突き詰め続けました。資材を発注した段階から戦艦建造は始まっていると考えていたといい、彼らの「モノづくり」へのこだわりと執念の凄まじさが窺えます。

 そんな精神や技術を余すところなく受け継いだのが、高度経済成長を支えた技術者たちでした。西島も、石川島重工業(現在のIHI)社長を務めた土光敏夫をはじめ、多くの人物にその経験を伝え、多大な影響を与えました。


 戦後、日本が「モノづくり大国」として栄光をつかむことができた背景には、大和と武蔵のDNAが確かにあったのです。

 戦艦大和と武蔵が今なお多くの人々に知られるのは、吉田満が著わした『戦艦大和ノ最期』を契機に、その悲劇性に注目が集まった側面もあるでしょう。しかし、この世界最大にして最強の戦艦が語りかけるものは、決して「悲劇」だけではありません。

 大和型戦艦を造り上げた技術力はもちろん、日本を守るという想いや覚悟、そして日本人の魂が凝縮された「結晶」が、大和と武蔵であったのです。

 先の大戦から70年を迎え、戦争を体験された方の多くが鬼籍に入られました。そんな時代だからこそ、この不世出の二隻の戦艦を通じて当時の日本人の姿を振り返るべきではないでしょうか。

とだか・かずしげ 呉市海事歴史科学館館長。1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学卒。財団法人史料調査会理事、厚生労働省所管「昭和館」図書情報部長などを歴任し、2005年より現職。海軍史研究家。著書に、『海戦からみた日清戦争』(角川書店)ほか多数。