「戦争責任」という魔語への言ひ換え


 次に論じるべきは、原語と翻訳語の差異や、用語全体の不用意さの問題です。私はさつき、さり気なくwar crime=戦争犯罪と書いたが、実はこの語からして、面倒な事がある。日本では、war crimeを、狭義の残虐行為などを指す時には「戦争犯罪」、第一次大戦で新たに登場した「侵略」「平和に対する罪」などを全体として指す時には「戦争責任」と訳す習慣がある。例へば大沼保昭氏による古典的なwar crime論の表題は『戦争責任論序説』、にもかかはらず副題の方では「「平和に対する罪」の形成過程におけるイデオロギー性と拘束性」となつてゐる。勿論「平和に対する罪」はcrimes against peaceの訳語だが、では「戦争責任」は、war responsibilityかといふと、そんな言葉はない。原語はwar crimeである筈だ。

 実際、手元にある『国際関係法事典』(三省堂)には「戦争犯罪」といふ項目はあるが、「戦争責任」といふ項目はない。一方、Wikipediaには「戦争犯罪」とは別に「戦争責任」といふ項目があり、御丁寧な事に「しばしば戦争犯罪と混同されるが、戦争責任にはいくつかの側面があり云々」と書いてある。ところが、よく見ると他言語対応がないではないですか。勿論、be responsible for the warといふ言ひ方はあるに決まつてゐるが、斯界の最高権威である大沼氏の主著に冠されてゐる「戦争責任」といふ言葉に、欧米の原語が存在しないといふのは皮肉がきつすぎないでせうか。言ふまでもないが、この概念は欧米由来のものなのだからです。

 最初に「戦争犯罪」を「戦争責任」と言ひ換へたのが、敗戦直後の外務省かGHQの示唆によるのか、その辺りは専門家の知見を伺ひたいが、今は措きます。要は、「戦争犯罪」といふストレートな言葉に較べ、「戦争責任」と言へば、道義的な語感が強くなる。だから、この言葉を用ゐて事を論じてゐると、この語の原義が、犯罪である事を忘れて、曖昧な気持になつてくる。

 かうしたどぎつい原義を誤魔化した用語で日本の戦争を論じる風土から、冒頭の北岡さんのやうな「日本全体としては侵略して、悪い戦争をして、たくさんの中国人を殺して、誠に申し訳ない」と言ふ発言も出て来るのです。

 「悪い戦争」といふのが、正に「戦争責任」といふ曖昧な語感に合致する。日本人も、さすがに自分が犯してゐない犯罪を進んで引き受ける迄のお人よしではない。「お前は犯罪者だ」と言はれれば、目を剥いて抗議する。が、「君にも悪いところはあつたらう」などと言はれると、寧ろ自分の悪い面は潔く認め「責任を痛感する」のが大好きなのが我々日本人だ。「戦争犯罪」から「戦争責任」への言ひ換へは、この日本人の心性と見事な迄に共振してしまふのです。

 その上、戦争そのものが「悪い事」だといふ話と「悪い戦争」とが混線する。確かに戦争はたくさんの人を殺す事だ。絶対悪とも言へるし、人間の業の最悪の現れとも言へる。が、戦争といふ非情な現実を論じる以上、戦争といふ「悪い事」と「悪い戦争」の混同は、厳に戒めなければならない。平時では、人一人殺しても大罪です。他方、戦争は、たくさん殺した方、つまりより「悪い」方が勝つ。そして二十世紀以降の戦争は勝てば正義になつた。つまり、単純化して言へば、戦争では、より「悪い」方が正義になる。要するに、戦時と平時とはベクトルが正反対なのであり、特定の当事者のみに絞つて、戦時の人道的善悪を論じると、どんなご都合主義的な議論でも可能になつてしまふ。北岡氏の「悪い戦争をしたから申し訳ない」といふのは、その陥穽に嵌つた典型的な物言ひと言ふ他はありません。

 つまり、我が国の主流歴史学の戦争論では、(1)侵略といふ言葉の犯罪性を隠蔽し、(2)war crimeを「戦争犯罪」から「戦争責任」に置き換へ、(3)一般的な「悪い」事と、「犯罪」との境界を曖昧にし、(4)「戦争」といふ「悪い事」と「悪い戦争」を混同してきた。

 その結果、「日本は、よその大陸に出掛けて行つて戦争するなどといふ『侵略』をしたのだから、『責任』はあるんだ。色々な意見はあるかもしれないけど、『悪い』面はあつたのだから、素直に認めようよ」といふロジックになる。如何にも日本人には居心地がいい論法だ。が、これが世界標準の政治言語に翻訳されたらどうなるか。「日本はaggressionといふwar crimeを自ら認めた」といふ意味に自動的に置き換へられてしまふ、行間もニュアンスも糸瓜もない、論争の余地さへないまま、この話は終了です。

 言ふまでもなく、安倍談話は、英訳されて世界中で認知される事になる。それが今後の日本の公式の歴史観となり、日本の歴史学の学術発信にも、外交交渉にも影響を及ぼす事になるのは間違ひない。北岡氏の、「侵略」戦争観を談話に入れよといふ主張は、日本の学界の、意図的誤訳と情緒操作的な戦争観に支配された、致命的な誤謬として百年の禍根を残すものだ。絶対に譲つてはならない。

「侵略」では道徳的断罪もできぬ支那事変の複雑性


 さて、以上、aggression=war crimeについて述べてきた訳ですが、次に、「侵略」をさうした明白な法的犯罪と取らずに、一般的な語感に従つて、他国の領土への侵攻といふ道徳的悪と見るとしませう。するとどうなるか。

 大東亜戦争は、支那事変から対英米蘭戦争までを包括した戦争です。延べ九年間にわたり、中国大陸、東南アジアからインド、更に中部太平洋諸島にまで渡る歴史上最大面積で戦はれ、その後の世界史に与へた影響も数百年規模の転換点となる程甚大だつた。

 常識で考へても、これだけ大規模な戦争を、侵略戦争と呼ばうと、逆に自衛戦争やアジア解放戦争と呼ばうと、所詮群盲象を撫でるのを出ないのは明らかでせう。大東亜戦争をどう評価するか以前に、この多面性を一語で覆ふこと自体が、そもそも不可能なのです。

 大東亜戦争は、大雑把に言つて、対支那戦争、対米戦争、そして、東南アジアの英米蘭植民地で戦はれた戦争、そして対ソ連戦争といふ四つの戦争が複雑に絡み合つてゐます。そして、それぞれ性格が全く違ふ。

 対支那戦争において、日本の戦争が「侵略」の語感に最も近づいたのは、間違ひないでせう。明治以来、日本が歴代の中国政府と信頼関係を築けなかつた事の責任を追及しはじめると、相互の言ひ分が錯綜して、結論は出ない。ここでは、満州事変と支那事変とに話を限りますが、満州事変は、中国に安定的な政権が出来ず、ロシアの南下意図が明白な中、力の空白地帯を日本が先取しようとしたものです。五族協和の理念で建国した。これが事変を主導した日本側の「物語」だ。が、一方で、欧米の帝国主義的領土分割の季節は既に終はり、しかも先述したパリ不戦条約が戦争そのものの否定を打ち出した直後の事だ。時期が悪い。我が国が予防的な領土拡張だと主張しても、予防の必要を逸脱した侵略行為だとされれば、議論の決着は付きません。

 が、かと言つて、東京裁判の言ふやうに、満州事変を大東亜戦争の遠因とするのも無理がある。もし満州建国直後のリットン調査団勧告を日本が受け入れ、ロビー活動によつて調査団を取り込み、国際主流派となれ合ひながら、実質的な満州権益を確保してゐれば、満州国は徐々に国際社会に承認されたでせう。国際承認を受けてゐれば、これが「侵略」の一歩だとはならなかつた。

 次に支那事変ですが、ここから対米戦争までは確かに連続してゐます。が、これは又、史上類を見ない程複雑な戦争でした。

 構図の基本は、一向に支配権の確立もできず近代化も進められぬ中国の政治・軍事指導者らの内部抗争、その不安定な状況に乗じて、満州から支那へと徐々にせり出す日本軍部と英米との、利権を巡る綱引き、コミンテルンによる中国赤化工作の絡み合ひです。

 国民党政府の蒋介石が、昭和十二年、共産党に身柄を拘束されて反共から抗日に転向した時に、日本の孤立は決しました。中国共産党の裏にはソ連、蒋介石には英米資本がゐる。毛沢東と蒋介石が一致して抗日となれば、中国人のナショナリズムの炎が日本に向けられるのは当然でせう。

 さうした中で勃発した支那事変は、日本を追ひ出せといふ中国のナショナリズム戦争といふ側面、それに対処してゐる内に日本側が戦争にひきずり込まれたといふ側面、圧勝続きの日本が、調子に乗つて終戦条件をせり上げて自ら泥沼にはまつていつた側面が共存する。蒋介石は重慶に閉ぢ籠り、だらだらと降伏を先延ばしにします。背後には日本弱体化を狙ふ英米、国民党と日本とを争はせて漁夫の利を狙ふ共産勢力の思惑がある。

 いづれにせよ、日本軍が戦つた相手そのものさへはつきりしない。中国の民衆でもあり、共産党分子でもあり、蒋介石政権でもあり、彼らそれぞれの背後の勢力でもあつた。支那には人がをり、社会があるが、所詮、国家はない。さういふ意味で、支那大陸といふ特殊な深海に日本を誘き入れて自滅させたのは、古代以来の中国人の奸智であり民族力そのものだつたと言ふ言ひ方もできよう。異民族を排出する中国独自のシステムが機能したとも言へるが、日本が体現してゐた「近代」そのものを追ひ出したと言ふのが一番正しいのかもしれない。

 かうした戦争を、単純に侵略と規定する事は到底できまい。勿論、正義の戦争でもない。古代以来支那大陸で民族入り乱れて繰り返されてきた伝統的な覇権戦争に寧ろ近いのではないか。

 いづれにせよ、確実に言へる事がある。もし、早期に停戦できてゐたら、日本は満州国の承認だけを条件に、勝者として撤兵する筈でした。さうなれば、対米戦争が起きたかどうかも分らなくなる。次の戦争の時期が先に延びれば延びる程、ソ連の危険な正体がはつきりし、日米戦争を経ずに、日米は対ソ同盟を形成したかもしれない。別に事々しくifを振り回すつもりはありません。私が言ひたいのは、満州事変、支那事変共に、日本が身を引く事さへ知つてゐれば、事実上の勝者として解決し、今日迄問責される事態にはならなかつた筈だといふ一点です。