日米戦争は双方の自衛権発動だつた


 では、アメリカとの戦争は「侵略」だつたのか。いや、勿論、これこそは、侵略の語感から最も遠い戦争でした。支那事変が長引くにつれて、アメリカは、大陸に対する日本の野心を強く警戒し始め、日本を経済封鎖によつて追ひ込みます。アメリカに経済封鎖されると、日本は、支那事変において有利な終結を図れなくなる。そこでジリ貧になる前に南方の石油を確保しようと、東南アジアに進出した。ところが、それが引き金となり、逆に、アメリカとの戦争が始まつてしまふ。これは、日本側からみれば明白な予防戦争です。

 断つておきますが、私は日本を弁護したくて言つてゐるのではない。逆も言へるからだ。アメリカから見ても、これは予防戦争だつたのです。日本がどこまで強国になるかは、領土や資源の確保によつて決まります。もし、日本の領土的野心を指を咥へて見てゐたらどうなるか。満州の権益が日本の国力を増強し続け、中国利権で優位に立ち、その上南洋の石油資源まで確保し、南太平洋の制海権まで日本が手に入れたとしたら――それこそアメリカにとつてかつてない巨大な脅威の出現と言ふ他はない。しかも大英帝国に昔日の面影はなく、ドイツ一つに振り回されて青色吐息だ。日本が一度領土と資源を入手し、アジアの広域で安定的な統治を確立したら、アメリカは逆に追ひ込まれる。そこで、アメリカは、日本が大国への道を目指す以上、いづれ予防の意味でこれを叩かねばならなかつた。

 つまり、日米ともに、広義の自衛権を発動しあつた結果が、日米戦争だつた。言ひ換へれば、不戦条約以前であれば、どちらが勝者になつたかにかかはらず、一方を侵略国家と決め付けて精神的に追ひ詰める必要などなかつた筈だつたとも言へる。

 その、日本にとつての予防戦争の戦闘地域が、南方の資源地帯である東南アジアからインドにかけてです。では、これらの地域での日本の戦争は「侵略」だつたか。これらの地域は、そもそも全て欧米の植民地であり、日本軍が戦つた相手は、植民地に駐留してゐた欧米の軍隊です。しかも、日本は連戦連勝、植民地の白人たちは数百年の支配を一瞬で打ち砕かれた。これら植民地の一部は、戦争の最中に日本の承認で独立国となり、さうでなかつた地域も、戦後全て独立を果たした。

 これを侵略戦争と呼ぶならば、日本はイギリス領を侵略したのか、マレー人やインドネシア人を侵略したのか。

 だが、そもそもは、英米蘭諸国がこの地域から日本への資源輸出を拒んだから、日本は戦争を始めたのです。もし、当時、それぞれの地域に自由な主権国家が成立してゐれば、日本は戦争など起さずに資源の輸入をすれば済んだ話でせう。しかも結果として、日本は欧米と戦ひ、彼らをこの地域から駆逐した。結果としてアジア諸国はそれぞれ独立を果たした。

 要するに、侵略といふ観念そのものが、これらの地域における日本の戦争を規定するにあたつて全く無力だといふ他はない。

 ソ連については、勿論、日本の対ソ連戦争は存在せず、ソ連の対日本侵略が存在するだけです。ソ連は、中立条約を一方的に破棄して日本に参戦してきた。しかも、そのソ連の参戦は、チャーチル、ルーズベルトとの密約だつた。国際法違反をして、日本を蹂躙したのはソ連であり、それを是認した米英は、その共同謀議者だつた。

 以上を要するに、大東亜戦争は、極めて多面的な戦争であつた。しかも、侵略といふ観念に最も接近するかに見える支那事変でさへ、規定の難しい戦争である事、それ以外の局面では「侵略」との規定は、相当無理をしてもまづ成立し得ない事、したがつて、「日本の戦争」を一刀両断に「侵略」と括る事は、北岡さんの強弁とは逆に、「歴史学的」にこそ、全く不可能だといふ事は、以上の簡単な叙述だけでも明らかではないでせうか。

大東亜戦争の全貌は世界史の中で語られねばならぬ


 さて、以上、「侵略」といふ概念に三つの観点から検討を加へました。私は国際法や二十世紀史の専門家ではないから、無知による誤謬も多々あるでせう、それは覚悟の上なので叱責頂くとして、議論を前に進める為にあへて拙い試論を立てたのだとご理解頂きたい。

 私は焦つてゐるのです。

 大東亜戦争をどう見るかといふ事は、単に国内的な論争の対象ではなく、いまだに国際政治の一部です。そして、国際政治と密接に連動する国際アカデミズムでの重要な主題でもあり続けてゐる。

 我々は、日本の立場を日本国内で幾ら主張しても仕方がない。また、日本に都合のよい、逆に言へば、世界が眉を顰めるやうな勇まし過ぎる議論を、内輪だけで幾らしてゐても仕方ない。

 先頃、メルケル首相が来日して、安倍首相の歴史認識を牽制するやうな発言をしました。その是非はどうでもいいのです。メルケル氏がわざわざそんな事に言及したのは、明らかに、安倍総理が、欧米のメディアやアカデミズムにおいて、彼らにとつて非難すべき意味での歴史修正主義者だと決め付けられてゐる事の反映だ、要点はそこにあります。

 メルケル氏を難じるのは簡単だが、肝心な事は、日本の保守系知識人の言説そのものが、国際的な誤解の構図に組み込まれてゐる事の方だ。

 例へば、南京大虐殺=犠牲者三十万人といふ捏造された神話がある。それに対して保守側は、実証研究を重ね、これがプロパガンダであることを証明してきました。しかし、その議論を普及させる為に、「南京大虐殺は無かつた」といふ刺激的なキャッチコピーが用ゐられる。プロパガンダに対してプロパガンダで対抗するといふのは無論必要でせう。多くの日本人が、南京虐殺がプロパガンダだと認識するに至つてゐるのは、こちらの宣伝戦も又有効だつたからです。

 が、同時に、ここで対立の構造がすりかはつてしまつてゐる事にも注意を払はねばならない。南京事件に関する保守派の取り組みの本質は、その緻密な実証性、客観性にあつた。南京陥落に際する史実としての不祥事と、プロパガンダとしての大虐殺を明確に区別する点にあつた。ところが、世に喧伝される時には、「大虐殺容認派」対「全否定派」といふ構図に話が置き換へられてしまふ。岩波、朝日派の学者達は、英語媒体を駆使して、それを右派による南京事件全面否定といふ極論に置き換へて世界に喧伝する。我々は、歴史を丁寧に検証した結果としての歴史修正主義を唱へてゐるのに、世界では、自国を正当化する為に事実を歪曲するウルトラナショナリストの知識人集団が安倍首相の歴史観を歪めてゐるといふイメージが、流布されてゐる。

 我々は国内で左派叩きをするよりも、海外で、実証に基いた品位ある議論を、人材を総動員して展開すべき時期に来てゐるのではないか。世界の論構造そのものを変換してゆく組織的な作業が必要なのではないか。

 その時、世界が知るのは大東亜戦争の日本に都合の良い解釈ではありません。世界史の大きなうねりの中で、関係各国それぞれが、我が身の明日に怯へ、疑心暗鬼に駆られながら、一方に「理想」といふ危険な毒杯を飲み干し、死闘を演じ続けた、その全貌でなければならない。そして全貌が見えた時、日本の栄光と罪とが、世界全体の栄光と罪とに照らし出され、等身大の姿を現すでせう。

 日本は語る事を恐れてはならず、世界は見る事を恐れてはならない。

 我々が、そこに肚を決めた時、安倍談話は、従来の見方の焼き直しや総括ではなく、二十世紀を真の「世界史」としてとらへ直す一歩となるに違ひない、そして、それこそが、戦争と殺戮の世紀から理性の時代への復帰の一歩となる唯一の道なのだと、私は確信してゐます。

おがわ・えいたろう 昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業。埼玉大学大学院修士課程修了。創誠天志塾塾長。処女作『約束の日─安倍晋三試論』(幻冬舎文庫)がベストセラーに。『『永遠の0』と日本人』(幻冬舎新書)、『最後の勝機(チャンス)』(PHP研究所)、共著に『保守の原点』(海竜社)