恐怖の平和都市


 ピストルを発射した男は打越会の組員・三橋巌夫である。

 彼はてっきり山村組が殴り込みをかけてきたものと勘ちがいして、先制攻撃のつもりで拳銃を発射した、と自供している。

 宵(よい)の盛り場のど真ん中で起こったこの殺人事件(安田さんは五月二十五日午前五時死亡)は、市民を驚愕させた。現場は電車通りから五十メートルほどはいった繁華街であり、問答無用と撃たれたのが一般市民であっただけに、衝撃的な事件として報じられた。

 県警本部は五月二十五日、「暴力団犯罪一斉検挙本部」を設置して、二上本部長指揮のもとにきびしい態度で取り締まる方針を打ちだした。

 が、山村組対打越会の抗争は取締本部を無視するかのようにすでに白熱化していた。すなわち、五月二十七日午前二時五十分ごろ、おなじ中ノ棚の盛り場で拳銃乱射事件をひき起こし、両者の抗争は一段とエスカレートしていった。

 中ノ棚のバー「ニュー春実」の三階で野村英雄ら四人の打越会組員がトバク中、先ごろ打越会を破門された山口英弘が十数人の部下を引きつれ、乗用車二台で乗りつけてきたのである。

 「ニュー春実」の三階の窓から顔をだした野村らと、路上の山口らが口論となって、たがいに拳銃の撃ち合いが始まった。

 山口英弘は、かつて打越信夫の片腕として打越会若衆頭の要職にあった男である。同組員中にあって最大の子分二十五人を擁し、実戦派の闘将として打越会の大黒柱だったが、三月一日、打越会を破門されてからは兄弟分・樋上実のいる山村組に急速に接近し、はっきりと打越会に敵対する姿勢を示していたのだ。

 深夜の繁華街でふたたび発生したこのピストル乱射事件は怪我人こそださなかったが、これではいつどこから流れ弾が飛んでくるともかぎらない。平和都市ヒロシマの名はたちまちにして無法都市、死の街と化し、血の抗争は「やられたら、やり返す」泥沼に突入していった。

 もともと広島の盛り場は八丁堀の金座筋を境として東を山村組、西を打越会と分け合っていただけに、広島戦争は盛り場のど真ん中で火を噴いた形となった。

 「ニュー春実」でのピストル乱射事件は、はたして「組のメンツにかけてもやられたら、やり返す」やくざの掟となって現われた。

 六月十一日午前二時、山口英弘派アジトに近い宝町山陽高校西側の路上で、打越会組員と山口英弘派とが拳銃を撃ち合ったが、この抗争で、打越会・藤田逸喜が登山用ナイフで鼻と胸の二カ所を刺され、十七日死亡している。

 二十一日夜から二十二日夕方にかけ、情勢はますます険悪となり、神戸の本多会、山口組をはじめ北九州、下関、防府、福山からぞくぞくと助っ人が広島の市街にはいり込んだという情報が流れ、その数は百人以上といわれている。

 市内の盛り場は人通りもなく、家々ははやくから戸を固く閉ざし、市民たちはいつ突発するかわからぬ銃撃戦の不安におののいていた。

 六月二十二日、広島県警本部は機動隊九百人を全員非常呼集するという、県警始まって以来の警備態勢を布き、ヘルメット、防弾チョッキで市内のパトロールにはいった。

広島入りした組員たち


 亀井貢殺害に端を発した山村組対打越会の抗争は、この段階では先制攻撃をしかけた山村組のほうに分(ぶ)があった。

 打越会は後手、後手と回ってどうみても旗色が悪い。

 戦闘員の数の上からみても、山村組の優位は動かず、このままでは打越会はじりじりと追いまくられていく情勢にある。

 そんな危機感が日ましに濃くなって、神戸山口組の動きはにわかにあわただしくなってきた。

 山口組大幹部・安原政雄は兄弟分の打越信夫と、それにつらなる美能幸三に強力なてこ入れをすべく、ひそかにその機会を狙っていたのだ。

 安原政雄は七月八日、呉で行なわれる亀井貢の本葬にあたり、葬儀参列を名目に組関係者千五百人を呉に乗り込ませようとしていたのである。

 地元や呉近郊の関係者を合わせれば、その数は優に二千人を越す大がかりな参列者となるであろう。

 それだけでも山口組の大デモンストレーションとなる。他に比類をみない圧倒的な動員力をもって山村組に威圧を加え、もし一朝(いっちょう)ことあれば一気に山村組に決戦を挑むこともやぶさかではない。

 だが、警察当局はいち早くこの情報を入手していた。抗争抑止に先手を打つべく、葬儀に先だつ七月五日午前七時前、呉署は八十人の署員を動員して葬儀主催者・美能幸三を傷害容疑で逮捕したのである。美能幸三を隔離することによって抗争の激化を阻(はば)もうという狙いであった。

 しかし美能幸三の逮捕にかかわらず、亀井貢の本葬は予定どおり七月八日午後、呉市登町の妙法寺で行なわれた。

 県下をはじめ神戸、北九州から山口組系関係者が六日午後から早くも広島入りし、当日の八日には約千人が大型貸切りバス十四台など車八十九台で呉入りし、その後もぞくぞくと集まり、総勢千七百人が集結している。
この日、呉入りしたのは広島に本拠をおく打越会をはじめ、遠く東京から東声会、九州の石井組、神戸の山口組、大阪の一心会と、組関係の一流どころがつめかけ、山村組は完全に沈黙した。

 動員された警官は千四百名に達した。白ヘルメットの武装警官隊と黒の喪服姿の組関係者とが、葬儀場でずらりと一列に相対し、奇妙なコントラストを描いていた。

 山口組が圧倒的な動員力をみせた亀井貢本葬以後、広島は束の間、小康状態を保った。

 ――あんなに大勢こられては、うかつには手をだせん。

 そんなためらいが山村組の間に働いたことも事実だが、県警のきびしい警戒態勢、地元「中国新聞」の勇気あるキャンペーン、そして世論の高まりが両者の抗争を躊躇(ちゅうちょ)させた、といってよい。

 七月二十八日、山村組を支援する神戸本多会の会長・本多仁介が引退し、副会長だった平田会の平田勝市が二代目・本多会会長として襲名した。

 七月二十七日付「中国新聞」によれば、その引退襲名披露の案内状に特別賛助者、賛助者の名で大野伴睦自民党副総裁をはじめ、原健三郎衆議院副議長、中村幸八自民党副幹事長、野田武夫総務長官ら国会議員十四人のほか十府県の府県議・市議など九十三人が名をつらねている。

火を噴くコルト


 九月にはいると、両者の抗争はふたたび血をみた。

 九月八日、広島市西部の繁華街である己斐町マーケットを根城にする西友会(組員四十八人)の会長・岡友秋は昼前、広島県安佐郡可部町の可部温泉にやってきた。

 可部温泉というのは、国鉄可部駅から北へ三キロほどはいったひなびた温泉場である。

 戦後できた鉱泉のわかし湯で旅館も四軒だが、温泉の少ない山陽道では利用客もかなり多い。

 岡友秋はこの日、可部温泉の旅館「松福荘」で午後から行なわれる小学校の同窓会に出席するため、旧友十六人と昼前にやってきたのだ。

 岡友秋は宿に着くとすぐ数人の旧友とつれだって、別館にある「松福荘」自慢の空中風呂へつかりにいった。

 空中風呂は別館、新館の前庭に建ち、地上五メートル、直径六メートルの円型の総ガラス張りである。「松福荘」は、どの客室からも空中風呂の内部が見渡せるようになっている。

 岡友秋がどっぷりと湯につかっているのを、新館の一室からみていた目つきの鋭い若い男がいる。山村組配下の吉岡信彦である。吉岡は前日夕方から「松福荘」に投宿し、計画的に岡友秋を待ち伏せていたのだ。

 岡友秋は湯ぶねからでて体を拭いている。岡はやがて湯あがりのさっぱりとした顔で浴室をでてくるであろう。

 吉岡は意を決したように、コルト45口径の八連発を懐(ふところ)にねじ込むと、黙って部屋をでた。

 吉岡は新館の玄関前で、さりげない態度で岡友秋のでてくるのを待ち伏せた。

 夏の終りを告げる蝉(せみ)しぐれが降りしきっている。腹巻のなかに、ずっしりと重い拳銃を握りしめながら、吉岡は喉の乾きをおぼえ、玄関前を行きつ戻りつしていた。

 待つ間はなかった。空中風呂のある別館入口から岡友秋は衣類を小脇に抱え、下着一枚でこちらへやってくる。

 別館から新館の玄関へはカギの手になっていて、そこに石灯籠(いしどうろう)が置かれてある。その石灯籠の陰から、吉岡は不意に岡友秋の前にぴたりと立ちふさがった。

 「あんた、岡さんだな」

 「――!?」

 つぎの瞬間、吉岡のコルトが轟然(ごうぜん)と火を噴いた。

 一瞬、岡の体がはじけ、数歩よろめいた。吉岡のコルトからはさらに五発が、よろめき歩く岡をとらえ、撃ち込まれた。

 それでも岡は気丈であった。よろよろとすがるように新館の玄関方向に手をさしのべながら、力つきて玄関の前で昏倒した。

 その岡友秋のこめかみめがけて、吉岡のとどめの一発が炸裂(さくれつ)した。岡は虚空をつかんだまま悶死(もんし)した。三十八歳の男ざかりであった。九月八日、午前十一時五十五分である。

 吉岡はその場から裏山伝いに遁走(とんそう)したが、同日午後零時三十五分ごろ、安古市町の国道で非常警戒中の警官に逮捕されている。

 岡友秋を狙った理由について吉岡は、

 「岡に広島市民球場で殴られたことから復讐した」

 と単独犯行を警察で主張しているが、吉岡は山村組の配下であり、一方の岡友秋は打越信夫の舎弟として打越会とのつながりは深い。

 とくに岡友秋は美能幸三と親密な間柄にあり、美能とともに打越会へ走ったいきさつもある。そんなことから山村組とは敵対関係にはいり、亀井貢が殺害されたときは真っ先に呉へ乗り込んで美能組に肩入れをしている。

 こうした背景が、山村組の憎しみを買った。そうみるのが妥当であろう。

 いっとき平穏にもどった、とみられていた山村組対打越会の戦いは、岡友秋射殺事件をきっかけにふたたび激化し、ピストルの乱射からダイナマイトによる報復へと、さらにエスカレートしていくのである。