激化する抗争


 盟友・岡友秋が射殺されたことによって、打越会は猛然と反撃にでた。

 九月十二日払暁(ふつぎょう)、山村組組長・山村辰雄の経営する広島市三川町のキャバレー「グランド・パレス」がダイナマイトで爆破されるという衝撃的な事件がもちあがった。

 山村組の本拠は「グランド・パレス」である。

 広島へ進出して以来、山村辰雄は呉へは帰らず「グランド・パレス」を根城に采配をふるっていた。店の前ではいつも数十人の組員が厳重に警戒し、細い階段をのぼりきった四階三十畳の広間には常時三十人の若い衆が詰め、山村辰雄もここに寝泊まりをしていた。

 いってみれば「グランド・パレス」こそ山村組の最高作戦本部である。

 その本部が爆破されたのだ。犯人はいうまでもあるまい。

 爆発物はダイナマイトを十本ほど束ねた手製爆弾で、払暁ひそかに「グランド・パレス」の入口におかれていた。轟音(ごうおん)とともに爆発物は鉄枠入りのドアを吹き飛ばして壁に大きなひび割れをつくり、通路の天井にさがっていた蛍光灯六基と隣の映画館「リッツ」のウィンドーを破壊している。

 怪我人はなかったが、ダイナマイトによるこの爆破事件は、山村組を震撼(しんかん)させるに十分であった。

 ついで九月十九日の払暁、こんどは「グランド・パレス」から百五十メートルほど離れたところにある山村組幹部・原田昭三の経営する原田産業の事務所へ、またしてもダイナマイトが投げ込まれている。事務所の奥に寝ていた山村組組員三人には怪我はなかったが、木造モルタルの事務所は天井が落ち、ベニヤの板壁ははがれ、表玄関は吹き飛ばされた。

 拳銃からダイナマイトへ。抗争は激化し、凄惨な殺戮(さつりく)戦へと突入していった。

 原田昭三の事務所が爆破されて二日後の九月二十一日午後八時前、盛り場・流川町の東新天地広場付近で山村組、打越会の数人ずつがばったり遭遇した。

 おりからの土曜日で宵の盛り場は人出も多く、殺し合いはその雑踏のなかで行なわれたのだ。

 事件はまったく偶発的に起こった。路上で出会いがしらに両者が二言(ふたこと)、三言(みこと)ののしりあったかと思うと、もう拳銃の引き金を引いている。

 連続して起こった数発の銃声とともに山村組組員・宮木敏明は右脇腹に一発、右肩に一発の銃弾をうけて倒れた。

 つぎの瞬間、打越会の者は風を食らって逃げだしていた。あたりかまわず通行人をはじき飛ばしながら、遮二無二(しゃにむに)逃走する。

 一人が逃げ遅れた。打越会組員・谷村祐八である。逃げるには逃げたが鈍足の悲しさで、たちまち追ってきた山村組の一人に背後から羽交締(はがいじ)めにされたと思うと、首筋に銃弾を撃ち込まれた。

 谷村は口から血反吐(へど)を吐いて、かっと目をみひらいたまま、ゆっくりと路上に崩れ落ちていった。即死である。

 瀕死(ひんし)の重傷をうけて血の海に転がっていた宮木も、二日後に病院で死亡している。

 現場は繁華街。しかも、土曜日の宵である。

 その路上で起こった惨劇は、広島市民を恐怖のどん底に叩きこんだ。

 山村組も打越会も、そこが盛り場だという見境(みさかい)さえも失って、ひたすら血で血を洗うはげしい憎悪しかなかった。

 県警本部は、ただちに数百人の警官を緊急配備させた。

 商店はばたばたとよろい戸をおろし、通行人はとだえ、ものものしい武装警官の姿ばかりが目立った。

 広島は死の街と化し、市民たちは家に閉じこもってじっと息を殺したままで、不気味な静寂が街全体をおおった。

マイト爆発、拳銃乱射


 山村組対打越会の、あくなき抗争を制圧すべく、県警本部は頂上作戦に踏み切った。

 九月二十二日午後三時二十分、県警本部は山村辰雄、打越信夫以下両組関係者五人を暴行容疑で逮捕した。これを機会に一挙に両組織を壊滅させようという作戦である。

 「これで広島も静かになるだろう」

 山村辰雄、打越信夫の逮捕で警察も市民も安堵(あんど)の胸をなでおろした。

 両方の組長をおさえておけば抗争は自然消滅するであろう。だれもが、そう思った。

しかし、その見通しは甘かった。お互いの憎悪は、もはやぬきさしならぬところまできていたのである。

 山村辰雄、打越信夫が逮捕された翌二十三日の午後九時半ごろ、神戸山口組事務所がダイナマイトで爆破された。

 爆破箇所は事務所の地下便所付近で大事には至らなかった。山村、打越両組長の逮捕直後の事件だけに、県警側も色めきたった。

 さらに、二十四日午前五時ごろ、広島市の鶴見橋西詰付近を走行中のタクシーから拳銃が発射されている。もし、流れ弾が一般市民に危害を与えていたらどうなったであろうか。

 しかも、その早朝、呉市北迫町の山村辰雄宅の庭先にダイナマイト入りの罐(かん)が仕掛けられていた。導火線は途中で消えていて、爆破は未遂に終わっているが、暗闘はそれだけにとどまらなかった。

 同日午前零時五十分ごろ、神戸本多会事務所前を黒塗り乗用車が徐行したと思うと、事務所内部へむけて猟銃弾が撃ち込まれた。広島戦争はまだまだ流動していた。

 九月二十五日、呉市阿賀町に本拠をおく反山村組の小原組(小原光男組長)の組員五人が、山村組襲撃のため賀茂郡黒瀬町の山中で拳銃の発砲訓練をしていたことが発覚、翌二十六日、手入れを受けている。

 捜査当局はそれまでに数十回におよぶ手入れで、山村、打越両組関係者を百十余名逮捕した。

 両組の勢力はともに半減したかたちになってはいたが、しかし、不穏な抗争事件がいつまた火を噴いてもおかしくない状態にある。

 「最後の一兵まで投じても戦う」という両者の対立は、もはや執念以外のなにものでもなかった。

 不気味な鳴動は、はたして爆発の前兆であった。十月十三日、岡組(岡清登組長)の最高幹部・藤井幸一が射殺された。

 その夜十時二十分ごろ、藤井は自宅裏の炊事場で顔を洗っていた。

 その背後へ、音もなく黒い影が寄り添ってきた。

 「幸ちゃん」

 呼ばれて、藤井はふり返った。その瞬間、藤井幸一は至近距離から射たれている。

 弾は腹部から臀部(でんぶ)を貫通し、藤井幸一は同夜十一時すぎ、付近の病院で絶命した。

 藤井の親分・岡清登は、さきに可部温泉で射殺された西友会会長・岡友秋の実兄である。

 岡兄弟はともに打越会派であっただけに、藤井を殺(や)ったのは当初、山村組かと推測されたが、藤井は息を引きとるまぎわに、

 「野村に殺られた」

 といっている。

 野村というのは、打越会系河井組(河井勝治組長)の幹部・野村博である。

 野村は、事件発生から三時間後に河井組長の自宅付近で逮捕された。