共産陣営に甘かった日本政府

 日韓関係はその後も、共通の敵に対する日本側の態度の甘さに韓国が反発し、揺れ続けた。ところが80年代に入ると、韓国国内では、急速に広がった左傾自虐史観によって共通の敵をむしろ擁護する勢力が急成長し、日韓の動揺の幅がいよいよ大きくなっていった。昨今の韓国の執拗な反日外交とそれに対する日本国内の嫌韓感情の増大は、この枠組みで見ないと全体像が理解できない。

 まず、70年代までの日韓関係をこの構図から概観する。韓国保守派随一の知日派である洪ヒョン・元駐日大使館公使は、日韓国交50年間を振り返り、関係悪化の根本原因は1965年の国交正常化の際、日本が韓国を半島における唯一の合法政府だと認めなかったことだと指摘する。

 中共と国交を結んだとき日本政府は台湾との関係を断絶した。中共側が強力に要求した「1つの中国」という主張に譲歩したのだ。しかし、自由陣営の結束という共通の利害から行った日韓国交において日本は、最後まで「2つの朝鮮」の存在を認めることに固執した。すなわち、韓国の憲法では韓国の領土を韓半島とその付属島嶼と規定しており、韓国政府は日本に対して基本条約でそのことを認めるように要求していた。その結果、基本条約第3条は「大韓民国政府は、国際連合総会決議第百九十五号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される」とされている。

 一見すると韓国の主張が通ったかのようだが、国連総会決議を引用することで日本は韓国の主張を巧妙にかわした。この決議は、韓国政府を、1948年5月に国連の監視の下で行われた選挙によって成立した半島の「唯一合法政府」と定めたものだ。北朝鮮地域を占領していたソ連軍と北朝鮮を事実上支配していた人民委員会(委員長金日成)は国連監視団の入境を拒否したため、選挙は38度線の南に限定して行われた。日本のこの条文解釈は、「北朝鮮地域については何も触れていない」というものだ。従って、日本が北朝鮮と国交を持たないでいることと第3条は関係がない。「第3条の結果としてそうなったり、そうする義務を法律的に負うのではない」(外務省条約局条約課の見解。『時の法令別冊日韓条約と国内法の解説』大蔵省印刷局1966年)

 この解釈の結果、事実上、わが国政府は日本を舞台にした韓国政府転覆活動を放置することになった。韓国では憲法の規定にもとづき、政府を僭称する団体などを反国家団体として位置づけ、その構成員や支持勢力を処罰する国家保安法という法律がある。同法第2条は反国家団体を「政府を僭称することや国家を変乱することを目的とする国内外の結社又は集団として指揮統率体制を備えた団体」と規定している。同法に基づき国家情報院(朴正熙政権下では中央情報部と呼ばれていた)が反国家団体などを取り締まっている。朝鮮民主主義人民共和国だけでなく、日本にある朝鮮総連と韓民連(在日韓国民主統一連合、1978年に指定)も反国家団体とされている。反国家団体の首魁は最高死刑と定められていて、韓国の法体系の中で重大な犯罪者だ。ところが、日本政府は国内で活発に韓国政府を転覆することを目的として活動する2つの「反国家団体」を放任してきた。

 その結果、70年代に入り、野党大統領候補だった金大中氏が半亡命状態で日本に滞在し、朝鮮総連と背後で繋がりながら民団を分裂させようとしていた在日韓国人活動家らと韓民統(後の韓民連)を結成する動きを見せたときも、日本当局はそれを放置していた。事実上の亡命政権的組織が東京で出来るかもしれないと危機感を持った中央情報部は韓民統結成の直前である1973年8月、金大中氏を東京のホテルで拉致して強制的に韓国に帰国させる事件を起こした。韓民統は金大中氏不在のまま、彼を初代議長にして発足した。

 当時、日本外務省は、韓国の実定法に反する反国家活動をしていた金大中氏を保護していた(外務省が身分保障をして赤十字社にパスポートに代わる身分証明書を発給させ、ビザを与えた)。白昼、日本国内のホテルから自国の政治家を暴力で拉致した韓国情報機関の乱暴なやり方は許されないが、その背後には日本外務省が金大中氏の日本での韓国政府転覆活動を裏で支援して自由陣営の結束を乱し、ともに戦うべき相手である北朝鮮を有利にしたことがあった。

 金大中拉致事件の翌年1974年8月には、日本を実行拠点とする重大テロ事件が起きた。文世光事件である。在日韓国人文世光は朝鮮総連生野支部政治部長の金浩龍らによって洗脳され、大阪港に入港した万景峰号の船室で北朝鮮工作機関幹部から朴正熙を暗殺せよとの指令を受けた。文は大阪の交番から盗んだ拳銃と偽造した日本旅券を持って訪韓し、独立記念日の行事会場に潜入して朴正熙大統領に向けて拳銃を撃ち、大統領夫人らを射殺したのだ。

 韓国政府は朝鮮総連と関連地下組織に対する徹底した取り締まりを日本に求めたが、日本政府は事実上それを拒否した。総連は捜査を受けず、文を洗脳した総連幹部も逮捕されなかった。それどころか、日本マスコミは朝鮮総連の宣伝に乗せられてむしろ韓国政府批判のキャンペーンを行った。朴正熙政権による自作自演説が報じられさえした。国会では外務大臣が「韓国に対する北朝鮮の脅威はない」と答弁した。韓国では反日デモ隊が日本大使館になだれ込むという前代未聞の事件が起きた。朴正熙大統領は一時、国交断絶も検討したという。

 横田めぐみさん拉致を国会で最初に取り上げた西村眞悟前議員は、この事件で日本当局が総連を捜査しなかったため、その後次々と日本人が拉致されたのだと以下のように鋭く追及している(「西村眞悟の時事通信」電子版2013年12月20日)。私も全く同感だ。

《問題は、日本のパスポートと日本警察の拳銃を所持して日本から出国し隣国に日本人として入国して大統領を狙撃するというほどの事件であるにもかかわらず、また、金正日が認めるまでもなく、事件当初から朝鮮総連の関与が明白であるにもかかわらず、何故日本政府(田中角栄内閣)は、朝鮮総連の捜査をしなかったのか、ということである。

 昭和四十九年の時点で、この捜査を徹底しておれば、その後の拉致は無かった。宇出津事件も横田めぐみさん拉致もなかった。そして、大韓航空機爆破もなかったのではないか。(略)

 しかし、朝鮮総連をアンタッチャブルとしようとする政治家の政治的思惑が最も大胆かつ露骨に捜査よりも優先したのは、明らかに文世光事件であった。

 以来、内閣が替わってもこの思惑は生き続け、大統領狙撃指令に使われた北朝鮮の万景峰号も何事も無かったように北朝鮮と我が国をいろいろな物資と人物を乗せて往復し続け、朝鮮総連も何事もなかった如く現在に至る。そして、日本人は国内から忽然と拉致され続けたのだ》

 文世光事件も日本人拉致事件も日韓の共通の敵である北朝鮮政権によって引き起こされたテロである。ところが、70年代に日本が反共姿勢を曖昧にして利敵行動をとっていたため、文世光事件の結果、日韓関係が悪化し、日韓の当局の協力が弱くなり日本人拉致を防げなかったという、日本の国益に反する事態が生まれた。

 この日本の利敵行動は全斗煥政権になっても続いた。北朝鮮の脅威に対する危機感からクーデターで政権を握った全斗煥将軍らは、レーガン政権が進める世界規模での共産勢力に対抗する軍拡路線に参与するため、韓国軍の近代化を行うことを計画し、そのための資金援助を日本に求めた。そのとき、日本外務省は「全斗煥体制は、軍事ファッショ政権」だとして経済協力に反対した。当時の外務省の内部文書(1981年8月10日付外務省文書「対韓経済協力問題」。小倉和夫『秘録・日韓1兆円資金』講談社に収録)は次のように反対理由を挙げた。

《(一)全斗煥体制は、軍事ファッショ政権であり、これに対して日本が財政的てこ入れをすることは、韓国の民主化の流れに逆行するのではないか、とくに、金大中事件が完全に解決していないまま、かつ政治活動の規制がきびしく実施されている現在、韓国に対して経済協力を行うことは、日本の対韓姿勢として納得できない。

(二)韓国への経済協力は、韓国への軍事的協力のいわば肩代わりであり、日・韓・米軍事同盟(強化)の一環として極東における緊張を激化させる。

(三)南北間の緊張が未だ激しく、南北対話の糸口さえ見出しえない現在、その一方の当事者である韓国のみに多額の経済協力を行うことは朝鮮(半島)政策として理解しがたい》

 この文書に表れている外務省の認識の決定的欠陥は北朝鮮政権の位置づけがないことだ。朝鮮戦争を起こして300万人を死亡させ、その後も繰り返し韓国へのテロを続けるだけでなく、日本人拉致を行っていたテロ政権の脅威と、それとの対抗のために完全なる民主化を遅らせざるを得ない韓国政治の実態を完全に無視する容共姿勢に驚くばかりだ。

 自由陣営の一員として共産主義勢力を共通の敵とする意識は全くない。この時点で外務省は日・韓・米軍事同盟の強化に反対していたのだ。全斗煥政権がファッショならそれを支援する米国レーガン政権の外交をどう評価するのか、いや、北朝鮮政権をどう評価するのかという根本的観点の欠落こそが、日韓関係悪化の第1の要因だ。

韓国の反日外交の始まり

 日米韓同盟強化は日本にとって望ましくないという歪んだ容共姿勢は、少しずつ改善されてきた。特に90年代後半、韓国情報機関が人道的観点からある意味超法規的に日本に提供してくれた横田めぐみさん拉致情報により日本は北朝鮮の脅威に目覚めはじめた。そして、中国の急速な軍事的台頭を目の当たりにして現在の日本は、限定的ながら集団的自衛権の行使を可能にする大きな政治決断をしながら日米韓同盟の抑止力を強化する方向に動き出した。

「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の軍事パレードを前に大型スクリーンに映し出された、習近平国家主席夫妻と韓国の朴槿恵大統領(左)=2015年9月3日午前、北京の天安門(共同)
 これに逆行して「共通の敵」への姿勢がおかしくなってきたのが韓国である。始まりは80年代に遡る。全斗煥政権は上記の日本の容共姿勢に業を煮やし、中国共産党と日本内の反日左派勢力と手を組んでその圧力で経済的支援を得ようとする歪んだ反日外交を開始した。日本軍慰安婦などの歴史問題で日本を糾弾している現朴槿恵大統領の中国との「共闘」の原点とも言える。

 1982年、日本のマスコミの誤報から始まった教科書問題で中国と歩調を合わせて韓国が外交的に日本を非難しはじめたのだ。問題の発端は「(旧文部省が)検定によって政府が華北への侵略を進出と書き直させた」という誤報だったが、いつの間にか韓国では「韓国・中国への侵略を進出と書き直させた」とする2つめの誤報がなされた。それなのに、鈴木善幸内閣は謝罪し検定基準を直して韓国、中国の意見を教科書基準に反映する異例の措置をとった。外務省は文部省の反対を押し切ってそれを推進した。

 その後、中曽根政権が40億ドルの経済協力実施を決めた。中国と組んだ韓国の対日歴史糾弾外交は成功して多額の経済協力が決まったのだ。これ以降、韓国政府は日本マスコミが提供する反日事案を外交案件としてとりあげ、テーブルの下で経済支援を求めることをつづけた。

 1992年1月、宮沢総理が訪韓した際、盧泰愚政権は朝日新聞などが行って作り上げた「強制連行」説に乗っかって首脳会談で宮沢総理に謝罪を求め、宮沢総理はそれに応じて八回も謝罪した。このときも、駐日大使などが首脳会談で慰安婦問題を取り上げることに反対したが、経済部署が日本からの技術協力などを得る手段として取り上げるべきだと主張したという。

 全斗煥大統領は韓国内で演説して、植民地支配を受けた原因である自国の弱さを直視しようと訴えるなど、朴正煕大統領とつながる健全な民族主義の精神を持っていた。日本から学ぶべきことは多いという認識も持っていたという。盧泰愚大統領も慰安婦問題の実態を実は理解しており、日本のマスコミが韓国国民感情に火をつけたと、正鵠を射る指摘をしていることは関係者がよく知っている事実だ。

 韓国政治研究の泰斗である田中明先生は韓国の反日が「拒否する」反日ではなく「引き寄せる」反日だと次のように述べている(田中明『遠ざかる韓国』晩聲社)。
《誰それがけしからぬというとき、われわれはそういう手合いとはつき合わぬ(拒否する)選択をするが、韓国の場合は違う。「汝はわれわれの言い分をよく聞いて反省し、われわれの意に副う・正しい・関係を作るよう努力せよ」というおのれへの「引き寄せ」が流儀である。それは一見“主体的”な態度に見えるかもしれないが、詰まるところは、けしからぬ相手の翻意に期待する他者頼みの思考である》

 他人のせいにせず自己の弱さを直視する朴正熙大統領や私の留学時代の友人K君の「反日」とは全く違う甘えをそこに感じざるを得ない。それが積み重なって韓国は日本人から尊敬心を得られにくくなっている。

 その後、金泳三大統領時代から歴史糾弾外交の目的が変化した。それまでは経済支援が目的だったが、1995年、金泳三大統領が江沢民総書記と会った後に猛烈に展開した反日外交は、国内での自身の支持率を上げることを目的としていた。金泳三大統領はそのとき、日本人指導者のポリチャンモリ(生意気な頭の中)を直すと語り、竹島近海で軍事演習を行った。その年の夏村山談話が出た直後の出来事だから、日本が謝罪をしないからでなく、韓国の内政上の目的があればいつでも反日が利用されることが明らかになった。

 李明博大統領の竹島上陸強行や朴槿恵大統領の反日告げ口外交も同じ文脈から理解できる。その意味で、日韓関係を悪化されている2つめの要素は全斗煥政権以降始まった「引き寄せる反日」外交、すなわち日本からの支援や内政上の人気回復のためのパフォーマンス外交を挙げざるを得ない。