歴史的蓄積が生んだ戦艦「大和」


 福田 戦艦大和を設計図や写真としてではなく、立体的な造形物として資料化し提供するというのは並大抵ではない。

豊後水道を進む戦艦大和=昭和16年10月20日(Wkimedia Commons)
 戸髙 大学で彫刻を学んだことが多少生きているかも知れませんね。それから少年の頃から海が好きで船乗りに憧れていましたから――すぐ船酔いするので実際にはなれませんでしたけれど(苦笑)、ある時代の日本人が海を舞台に戦争をせざるを得なくなり、大和のような巨大戦艦を建造したことの意味、戦艦や戦闘機といった兵器にかぎらず、工業製品はその時代の人間が何を考え求めていたかを具象化したものですから、それをきちんと見ることができれば、その時代や人間の思想がある程度分かるのではないか。そうした問題意識がわりと若い頃からあったのはたしかです。

 福田 大和の建造が極秘裡に開始されたのは昭和十二年十一月四日ですね。大正十一年のワシントン海軍軍縮条約で対米英六割の戦艦保有に制限された日本海軍は、条約期限切れの昭和十二年からその劣勢を挽回するために三隻の巨大戦艦の建造に踏み切った。その一番艦が大和で、二番艦が武蔵、三番艦が計画変更でこれまた世界最大の空母信濃になった。

 戸髙 設計が開始されたのは起工から三、四年前ですかね。明治維新から七十数年で世界最大最強の戦艦を建造したということは、率直に驚き以外の何ものでもない。

 福田 ペリーの来航が嘉永六年(一八五三)ですから、そこから数えても驚嘆すべき早さです。日本は西欧近代に追いつくべく駆けに駆けて大和の建造にたどり着いた。ただこれも日本人のポテンシャルからすれば十分に考えられたことだと言えるかも知れません。黒船来航からほぼ三年後には、日本人は初めて見た文明の利器、蒸気船を外国人の助けを借りずにつくってしまっている。

 戸髙 島津斉彬の薩摩藩、鍋島直正の佐賀藩、伊達宗城の伊予宇和島藩の三藩ですね。近代化を成し遂げる素地がすでに江戸時代の日本には備わっていた。それも職人レベルにその能力があったという点がすごい。司馬遼太郎の『花神』は大村益次郎の生涯を描いた小説ですけれど、その中に彼が宇和島藩に兵器製造・洋学担当の雇士として招かれて蒸気船をつくる挿話があります。村田蔵六と名乗っていた頃のことですが、彼は八幡浜のカラクリ職人に実際の蒸気船を組み立てさせている。完成した蒸気船は動力は大したことないのだけれど、とにかく前を向いて波を蹴立てて進んでいく。幕閣の技術者ではなく江戸を遠く離れた一藩の市井の職人がやってしまう。これはやはり当時を思えば大変なことです。

 福田 最高水準の技術というのは中央に集中するのが普通ですが、当時の幕藩体制はそうではなかった。多様性を各藩が維持し、しかも市井のカラクリ職人までがその力を持っていたということは、その後日本が近代化を成し遂げた要因として他国に例のない与件です。

 戸髙 江戸時代の面白さですね。江戸時代の身分制度は今日否定的な側面ばかりが言われていますけれど、実際には、相手がたとえ侍でも職人気質というのは通じたのです。何か依頼をされても、「そんなの気が乗らねえなあ」と言って断ってしまうことだってあった(笑い)。技術とともに職人気質に対してある種の黙契があったわけです。制度としては士農工商と言いますが、実態としては職人への潜在的尊敬や社会的地位がちゃんと存在していた。

 福田 職人修行の仕組もすごいですね。徒弟として親方に仕え苦節の日々に耐えて、一人前になれば、日本全国、どこでも仕事が出来る。技量に対する評価の基準が確立されていた。

 戸髙 彼らのすごい点は、新しい技術に接すると必ずそれを自らのものにしてしまうだけでなく、それに独自の工夫を加えてさらに新しい一段上の技術にしていったことです。そうした姿勢を持ち得たのは少なくともアジアでは日本だけでした。たとえば中国は日本の江戸時代の頃からヨーロッパに留学生を派遣したりして技術の導入を図っていますけれど、まったく自家薬籠中の物にはできていない。これは職人の実質的地位、周囲の職人に対する敬意の念の違いが彼我に歴然とあったということでしょう。

 福田 アジアが西欧近代と遭遇してから、それを物真似と言われようが紛い物と言われようが、西欧が生み出した物と同じ物をつくり出して見せたのは日本しかない。それゆえ日本はその西欧と総力戦を戦わねばならなくなったとも言えますが、その力を持ち得たことは、素直に父祖の代の日本人が、技術を尊重し蓄積してきた歴史を評価すべきものだと思います。

 戸髙 先の敗戦まで、アジアで戦艦を建造できたのは日本だけです。いや現在にいたるまで、オリジナルの戦艦や戦闘機――その時代における第一線級の戦艦や戦闘機――を全部自前でつくれたのは日本だけです。戦前は言うに及ばず戦後の中国にしても、初期にはほとんどがソビエト・ロシアからのライセンス生産ですからね。

 技術はそれを受け入れる側の水準がどこにあるかでその後の展開が決まってくる。それが幕末明治の日本のダイナミズム、面白さのポイントだと思います。戦艦大和も零戦も紛れもなくその延長線上にある。ただそのダイナミズムも、日露戦争に勝って明治末年になると官僚国家の体裁が整って少しずつ失われていってしまう。この点を押さえておかないと、その延長線上にある戦艦大和のすごさとその悲劇が映し出すものも分からなくなる。大和の悲劇というのは、取りも直さず先の大戦の失敗が集約されたようなところがありますからね。

 福田 幕末から明治までの頃を論じたり喋ったりするのは精神衛生上たいへんよろしい。もちろん独立をまっとうするための苦難は続いているにせよ、少なくとも日清戦争前後ぐらいまでの歴史は心穏やかというか、精神にある種の屈折を抱えずに読めるのですけれど、それ以降は、近代化がなりつつある日本の新たな問題が複雑な影を色濃く投げかけてくる。