風力発電も太陽光も張子のトラの世界一


 中国は経済発展に並行して発電所も猛烈に増やしている。

 水力によるダムは全土に二十二万カ所。このうち二万数千のダムは決壊しているが、そんなことはお構いなしに方々に新ダムをつくっている。

 とくに警戒すべきは世界最大の三峡ダムが決壊する可能性である。二〇一〇年七月の豪雨で毎秒七万九千トンの放水をした時は水しぶきが百五十メートルの高さに達した。下流域の住民は恐れおののいたが秘かに練られている計画は下流域住民八十万人の立ち退きである。現に重慶の党委員会は当該報告書にそう明記している。

世界最大の水力発電ダム、三峡ダム
 火力発電は石炭不足と原油高を招いたが、中国は電気代を据え置いている。停電で悲鳴を上げるのは外国企業だ。というのも日本のような「計画停電」ではなく突然ぷっつんと電力がとまる。生産現場は計画も成り立たず、これを「無計画停電」と揶揄する。

 ソフトエネルギーが良いと聞けば風力発電、たちまちにして四万基。太陽パネル発電も補助金漬けで設置建設だけは賑わうが、送電線が不足している。

 黒竜江省各地を歩いて驚倒したのは、あちこちに風力発電設備がにょきにょきと林立していたことだ。山の上にも風車が林立、声を上げるほどに驚いた。山ばかりか、ちょっとした高台にも風力発電の設備が騒音をたてて回転していた。いつの間に中国は、世界一の風力発電大国となっていたのだ。

 二〇〇八年の統計で一万千六百基が設置され、以後も倍々ゲームで増設された。二〇一〇年の推計で中国における風力発電設備は四万基を軽く超えたことになる。

 風力発電メーカーの嚆矢は欧米勢だった。デンマークのヴェスタコ、米国のGEなど。後発の日本も三菱重工、富士重工、日本製鋼所などが参入した。中国の風力発電メーカーは最後発だった。欧米から技術を導入し、さらには欧米のメーカーを買収し、独自の風力発電機械、設備をつくれるようになった。その後、想像を絶する迅速さで事態は進捗した。このプロセスは新幹線プロジェクトの技術盗用過程に酷似している。

 風力発電が国家あげてのプロジェクトと決まるや、それまで発電の知識もなかった中国人が儲け話に群がって、あちこちにメーカーが乱立。いまや中国だけで風力発電の設備メーカーは七十社(国有企業二十九社、民間二十三社、合弁十社、外資八社)。しかも中国のメーカーが世界ランキング上位十社のうちの四社を占める。GEを抜いて世界二位となった「華鋭風電」(シノベル)、三位の「金風科学技術」(独社を買収し急成長)、そして原発、火力、水力発電の大手「東方電気」も参入した。

 風力発電の費用対効果は火力や原子力発電と比較しても非能率、非効率、非経済的と言われた。なぜなら風がなければ発電が出来ず、設備投資のコストに比べて売電コストがあまりにも安いからである。投資としては成立しないビジネスだ。まして豪雨、台風、強風の際には倒壊のおそれがあるので発電をとめる。現実に倒壊事故、鳥の巻き込み事故、ブレードの損壊など米国だけでも七十五件の事故が記録されている。

 WTOで米中が争った問題は、中国政府が風力発電一設備あたりにつき六百七十万ドルから二千七百五十万ドルの「補助金」をつけてきたことだ。明らかに自由競争を阻害すると米国がWTOに訴え、中国はようやく今年六月になって補助金が各所に行き渡ったと判断するや補助金停止を打ち出しワシントンと妥協した。

 太陽パネル発電も国家をあげて推進中だ。

 中国の目標は五年後に太陽光発電を一千万キロワットにすると標榜している。

 すでに世界一の太陽光発電パネルのメーカーも、これまた中国なのである。

 江蘇省無錫にあるサンテックパワー(尚徳電力)は過去十年で売り上げを十倍とした。シャープ、京セラ、三洋電機といった世界有数のメーカーを軽々と抜いたのである。しかもサンテックパワーは日本の太陽光発電メーカーMSKを買収し、日本市場への進出も果たした。

 発電効率を効果的に高め、一方でコストダウンに成功し、発電コストを十年で三分の一にしたという。世界全体の太陽光発電の導入実績シェアは中国が三%、これを二〇一二年に八%にすると鼻息が荒い。これまではドイツの独走が続いてきた分野だが、オバマ政権になって米国も太陽発電に力点を移し、世界のマーケットは二〇一二年までに三倍に膨らむと業界は強気の読みをしている。

かくして難民の反乱、暴動が…


 中国最大の湖である洞庭湖は北海道の三分の一ほどの湖面面積があった。「あった」と過去形で書く理由は年々歳々、工業化によって土砂が流入し、湖面が汚染され縮小してきたからだ。ついに水涸れ。洞庭湖は地域によって一滴の水もなく湖底は地割れを示すに至った(六月二日、多維新聞網)。

 二〇〇八年は華南に大雪、〇九年は四川、重慶地区に百年ぶりの洪水被害、一〇年には西南地区五省に干ばつ、今年は六月まで長江流域の干ばつ、そして六月からは豪雨。この間、〇八年五月には三峡ダムを遠因とする四川省大地震が起きた。

 今年四月から六月まで一滴の雨も降らず湖北・湖南の両省と安徽省、江西省、江蘇省と上海市は水飢饉に襲われた。干ばつ被害による農地の荒廃は七百万ヘクタールにも及んだ。農地の被災という文脈では東日本大震災の十数倍の規模である。

 世界一の発電量を誇る三峡ダムの貯水は二割程度(今年六月現在)、下流域は川底が地割れを示した。あの長江が水涸れという異常事態は半世紀ぶりとなる。

 そんな中、「南水北調」という世紀のプロジェクトは総額六百三十億ドル、「随の煬帝」級の運河を三本同時に開墾し長江の水を華北へ送ろうという無謀なプロジェクトだが、工事は十年前に開始されており、すでに一部の運河は開通している。

 ところが問題が随所に発生し、先行きに暗雲が漂う。すなわち黄河の十七倍の水量を誇る長江の水を北京・天津地区に輸送する水飢饉対策が目的だったのに、水質汚染、環境汚染、あげくにせっかく運ばれてきた水が雑菌だらけで飲めないと判明して元の木阿弥になるかも知れないのだ。

 三本の運河ルートのうち西線はおそらく実現困難だろう。なぜなら通天河から大渡河に巨大ダムの建設が必要な上、海抜四千メートルのバヤンハルム山脈に全長百キロのトンネルが必要とされるからだ。もし水流が山脈をぶち抜くという事態が発生すれば山崩れ、崖崩れ、土石流どころか地震が頻発し、山脈崩壊など想定外の災禍が予測される。ゆえに西線は「構想」段階で踏みとどまっている。

 さらに付随的な障害がぞろぞろと出てきた。

 まずは上海西部から天津までの区間の水路が開設されたが、水質汚染が激しく新たに四百二十六の浄水装置が必要に。追加予算が膨大に膨らんで、中央政府対地方政府の予算配分をめぐる政争は収拾がつかない。

 最大の難問は開墾工事に伴う大量の立ち退き難民の発生だ。

 年間二百三十億立方メートルの水が南から北へ輸送されるとなると、自然環境や気象条件その他の状況変化により、一部地方には洪水が、あるいは水没が予測される。三十七万もの村落が廃村となり、十七万人の農民が故郷を離れた。新移住区には当然ながら職がなく、補償金は微々たるものなので不満が爆発した。

 かくして立ち退き難民の反乱、暴動が起こる。反政府感情は頂点を極める。都市部に住む四億四千万人の水を確保するために、三十七万の村々が犠牲になるわけだから。中国における水問題はまさに死活的である。だからこそ一部の中国企業は日本のきれいな水をねらい、森林資源の買い占めに走るのだ。

バブル国家破裂はいまや時間の問題


 そして中国経済の根幹を支えてきた不動産バブルの瓦解が始まった。

 共産党独裁というシステムには構造的欠陥がある。猛烈インフレを前に庶民は暮らしていけないと政府に不満を漏らす。新幹線事故における鉄道部批判は、じつは政府批判のはけ口である。

 博訊新聞網(八月二日付)によれば浙江省杭州で突如勃発したタクシーのストライキがある。理由は、「食料品が一一・四%、とくに豚肉が五七・一%も上がり、これでは食べていけない」とするインフレへの不満だった。

 しかし政府はインフレ抑制の目玉としてガソリン料金を抑制し(だから売り惜しみがおこる)、主要都市では地下鉄、バスを低料金のまま据え置き、このため公共運輸機関の赤字は鰻登りになっている。

 北京である日、まったくタクシーがつかまらず、「景気は良いだろう」とたまさか拾えた若い運転手に訊くと、「冗談でしょ。景気は最悪ですよ」と答えた。「えっ。最悪? タクシーはまったく掴まらないじゃないか」と筆者。すると、「物価があがって、こんくらいの稼ぎじゃ(生活が)追いつけない」と溜息だった。

 不動産の根本問題は次に発生する不良債権の爆発である。

 これまでに地方政府が土地を売って開発を促し、中国全土におよそ一万社ある「開発公社」に国有銀行が巨額のカネを貸し続けた。

 総額は二百五十兆円、このうち百七十兆円が不良債権化すると欧米の経済誌は予測している。こうなると建設ブームは突如、心筋梗塞のような破滅的終末を迎えるのは必定だ。それはいまや時間の問題のように見える。

 GDP世界第二位、外貨準備世界第一位の経済大国を誇示する中国で、実は経済失速、バブル経済破裂が秒読みとなっている。

みやざき・まさひろ 昭和21(1946)年、金沢生まれ。早稲田大学英文科中退。日本学生新聞編集長などを経て、昭和57年、『もう一つの資源戦争』(講談社)で論壇へ。中国ウオッチャーとして活躍。著書に『中国がたくらむ台湾・沖縄侵攻と日本支配』(KKベストセラーズ)『ウィキリークスでここまで分かった世界の裏情勢』(並木書房)『オレ様国家・中国の常識』(新潮社)など多数。
(※iRONNA編集部注:肩書き等は『月刊正論』掲載当時のものです)