「村山談話」の継承が学問的態度なのでせうか

 次の項目四は、安倍首相に対して、「村山談話」での「侵略」や「植民地支配」への「痛切な反省」、「心からのお詫び」を継承せよと要求してゐます。これ又、驚くべきは、それを、「歴史と法と政治を研究してきた私共が、特に強く申し上げたい」と、ここでも又「学問」をちらつかして要求してゐる姿勢でせう。

 それならば、「詫び証文」を再度入れ直す必要に関して、どういふ学的・論理的根拠が示されてゐるのか。

 第五項では、その第一の根拠として、「『村山談話』を『安倍談話』がいかに継承するか」が、「総理自身の言動も原因となって、内外で広く論ぜられ、政治争点化している」と書かれてゐます。

 しかし、そもそも「村山談話」そのものが、二十年に渡り、政治争点であり続けてきたのではありませんか。

 安倍氏の言動如何に関はらず、「村山談話」そのものが政治争点だつたのであり、「村山談話」だらうと、「安倍談話」だらうと、どの道、政治争点化する事には変りない、そのやうな単純な事実にさへ言及せずに、何が「歴史と法と政治を研究してきた私共」でせうか。

安倍首相談話発表を受けて記者会見する村山元首相=8月14日夜、大分市
安倍首相談話発表を受けて記者会見する村山元首相
=8月14日夜、大分市
 村山氏が首相として何かを発信すれば、我々は恐らくその多くを争点化します。一方、安倍首相が何かを言へば署名者らは、それを争点化するのでせう。政治とはさういふものであり、だからこそ我々学問や言論を事とする人間は、政治に関与する時に、学問的中立性を僭称しては絶対にならない、その位の原則を七十四名にも及ぶ日本を代表する学徒が自覚してゐない事に、私は眩暈を覚えます。日本の知的病理は何と深い事でせうか。

政治争点化させたのは誰でせう

 この項で次に問題なのは、まるで「政治争点化」を自然発生的な現象のやうに書いてゐる点です。当然ながら、この「政治争点化」は、自然発生的なものではなく、構造的な仕掛けがあります。

 改めて書くのも馬鹿馬鹿しい話ですが、先づ朝日新聞や日本のテレビメディアが安倍総理の発言を「負」の価値づけをして難じます。それを中国や韓国メディアが、更に誇張して非難します。中国と連動が進むニューヨーク・タイムズがその後追ひをし、いはゆるリベラル系欧米メディアが、これを世界中で喧伝し、日本にフィードバックされる。共産党及び極左労働組合を始めとする資金源と、中国を中心とする国際的な諜報人脈がそれと連動してゐます。

 これが「政治争点化」の大きな構造でせう。

 国際政治学者が起草者に含まれてゐる以上、かうした基本構造をこそ、以上私のヤマ勘的記述とは次元の違ふ学術研究のレベルで「析出」すべきではないのか。ところが、声明は、そのプロパガンダの構造に一切言及するどころか、こんな風に述べてゐます。

「このことは、国内もさることながら、中国、韓国、米国などを含む、日本と密接な関係をもつ国々で広く観察される現象です」

「観察される現象」と書けば、客観的な記述に見える。が、今言つたやうに、この「現象」は国内外呼応してのプロパガンダといふ仕組まれた構造抜きには説明し得ません。それに触れずに「観察される」などと客観めかす事自体が、悪質な詐欺論法です。

「こうした状況の下では『安倍談話』において『村山談話』や『小泉談話』を構成する重要な言葉が採用されなかった場合、その点にもっぱら国際的な注目が集まり、総理の談話それ自体が否定的な評価を受ける可能性が高いだけでなく、これまで首相や官房長官が談話を通じて強調してきた過去への反省についてまで関係諸国に誤解と不信が生まれる」

 これも学者の文章としてはあつてはならないものでせう。

 要するに「安倍談話」の帰趨が「政治問題化」してゐる「こうした状況の下」では、「反省」や「お詫び」を入れないと、国際問題になるから、入れろと言つてゐる訳です。

 国際社会自体が謀略ゲームの戦場です。プロパガンダをする側が悪いかいいか以前に、さうした政治闘争の中で国益と国家の名誉を守る事が政治の任務です。

 国際政治学徒が起草に関はつてゐる以上、・プロパガンダの構造の指摘・その中で「安倍談話」が、プロパガンダからどうやつて国益と名誉を守るかといふ方法論の提示。これが常識的に考へられる学的な文脈ではないでせうか。

 ところが、声明は、逆に、国際圧力をネタに、安倍氏に謝罪と反省を強要してゐる。学問の政治利用そのものではありませんか。