ならば検定不合格にすべきだった

 上山氏は審議会委員としてあるまじき発言をしている。

「日本のいいところばかりを書こうとする『自由社』と、歴史の具体的な場面から書き起こす新しいスタイルですが、学習指導要領の枠に沿っていない『学び舎』。この2冊ともいったん不合格になりながら結局、合格した」とし、その合格した理由として、「基準を一方に緩く、一方に厳しくするのはまずい」。

 つまり学び舎の教科書を落とせば、「つくる会」の教科書には緩く、学び舎の教科書には厳しくしたということになる、と言っているのだ。

「つくる会」の歴史教科書の不合格は、バージョン・アップを図るため、全面的に書き直したためにケアレス・ミスが多く指摘され、いったん検定不合格になったものだ。だが、内容上の実績はすでにあり、書き改めた教科書は検定合格した。その間、特に検定を緩く対応してもらった覚えはない。

 一方、学び舎はどうか。最初の検定申請で、夥しいほどにつけられる検定意見の山は均しく味わう「通過儀礼」のようなものだ。学び舎の教科書はこれでいったん検定不合格になったと思われるが、初の検定で多くの検定意見が付く…そのこと自体は悪い話ではない。

 問題は「学習指導要領の枠に従っていない」という上山氏の認識である。これは学習指導要領に照らして問題を抱えているが、検定合格させたという意味だろう。

 われわれ「つくる会」の教科書は学習指導要領の歴史教育の最初の目標にある「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を深める」という項目を遵守し、平成十八年に改正された教育基本法を遵守した教科書をつくっている。ケアレス・ミスでいったん不合格とはされたが、期間に間に合うように必要な修正を済ませて検定合格した。学習指導要領の基準を緩く適用され検定合格したものでは断じてない。

 しかし、学び舎は違う。検定過程で学習指導要領の枠に従っていないという認識が検定した側にあるならば、検定合格に最終的責任をもつ検定審議会の委員として、不合格の判断をすべきだったのではないか。それが責任であり、まして「つくる会」との兼ね合いなどで合格が認められるべき筋合いの話でもない。学習指導要領の枠に従っていなくても検定合格を認めると堂々と発言する審議会委員がいたことには驚いた。文科省はこうした審議会委員の人選を、今一度慎重にやってもらわなければならない。

採択こそ教科書改善の主戦場

 学び舎の歴史教科書が検定合格し、歴史教科書が八種になった。今年夏に行われる採択戦での選択の幅が広がったということだ。通常、教科書改善の運動の主戦場は検定の段階と考えられがちだが、実は採択戦の方がはるかに重要である。自虐的な教科書が教科書会社によって量産されるのは、自虐的な教科書が採択されるからである。逆によい教科書の採択が伸びればよい教科書が量産され教科書は自然によくなる。

 幸い、本年から教育委員会に関係して首長の主宰する「総合教育会議」が設置され、首長主導で教科書採択の基本方針を明示できるようになった。ということは、首長も教科書採択に堂々と発言し、共同責任を負うことになったということだ。これまで事実上教員が決めていた採択を、地域の住民の教育意思を反映すべく首長にも一定の関与ができるようになったのだ。良質の教科書が子供達の手に渡るべく、首長の奮起を大いに願いたいものである。


すぎはら・せいしろう 昭和16(1941)年、広島県生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。城西大学教授を経て帝京平成大学教授を歴任。平成18年退職。新しい歴史教科書をつくる会会長。著書に『教育基本法―その制定過程と解釈』(協同出版)、『教育基本法の成立―「人格の完成」をめぐって』(日本評論社)、『日米開戦以降の日本外交の研究』(亜紀書房)などがある。