護憲団体が今年の有力候補に

「ノーベル平和賞ウオッチャー」として知られるオスロ国際平和研究所のハルプビケン所長が昨年「憲法9条を保持する日本国民」を最有力候補に挙げ、話題を呼んだ。その所長が「9条を保持する日本国民」という名の団体が推薦されていると勘違いしていたというから笑えない(二〇一四年十二月十六日付読売新聞朝刊)。ちなみに、ノーベル委員会のルンデスタッド事務局長も、読売新聞の取材に対し、「誰が(授与式で)賞を受け取るのかとの問題が生じる。推薦した人たちが安倍首相に懐疑的なのに、首相が賞を受け取るのか」などと疑問を呈し、国民(全体)への授与は困難との認識を強く示唆した(同前)。

 結果はご存知のとおり。昨年受賞したマララさんらと比べ、平和への貢献度が低いとみなされたのであろう。予想に反し落選した。朝日新聞朝刊の名物コラム「天声人語」は「粘り強く続ける値打ちのある挑戦ではないか」と説いたが、異論を禁じ得ない。

《異論もあろう。掲げる理想と日米同盟の現実とがかけ離れているではないか。「押しつけ憲法」ではないか。賞を受けるのは「9条をもつ日本国民」とされているが、そのなかには改憲論者もいるのに、と▼それでも、戦後日本に平和をもたらした9条の役割の大きさを否定できるものではない》(十月十一日付)

 コラムが「▼それでも」と論旨を逆転させた論拠は明示されていない。まさに「異論」を封殺した独善的な主張ではないだろうか。

 天の声(朝日)がなんと言おうが、「戦後日本に平和をもたらした」のは、九条でなく日米同盟である。理想論はともかく、それが現実である。その他の異論は「天声人語」自身が「異論」として明記しているので省略する。注目すべきはノーベル平和賞の行方である。

 昨年は落選したが、今年はどうか。報道によると、すでに衆参両院の国会議員61人の推薦状がノーベル委員会に送られている。加えて大学教授ら19人も推薦した。ちなみに昨年も大学教授ら43人が推薦したが、推薦人の中に国会議員はいなかった。
南スーダン・ジュバの道路整備作業で、辺りを警戒する陸上自衛隊員(共同)
南スーダン・ジュバの道路整備作業で、辺りを警戒する陸上自衛隊員(共同)
 韓国の動きも見逃せない。「日本平和憲法9条をノーベル平和賞に推薦する韓国委員会」が組織され、座長に李洪九元首相が就任。安倍政権の改憲の動きを牽制する推薦文を作成。すでに元最高裁長官や著名な文化人らが多数、署名している(二〇一四年十二月十九日付産経新聞朝刊参照)。

 果たして今年の下馬評はどうか。前出のハルプビケン所長は、移民救援活動を続けるカトリック聖職者ムシエ・ゼライを最有力候補と予想。二位にロシア紙「ノーバヤ・ガゼータ」、三位にNGO「イラク・ボディー・カウント」を挙げる。注目すべきは四位にランクした候補である。それが「九条の会」。所長は共同通信の取材に「国民全体の受賞はあり得ない」との見方を示し、今年の予想候補も「九条の会」に修正したと説明する(共同通信記事参照)。

 ノーベル平和賞は他薦のみで推薦資格は国会議員や大学教授、過去のノーベル賞受賞者らに限定されている。以上の動きと併せて考えると、今後「九条の会」などの護憲団体が受賞する可能性は決して低くない。念のため付記するが、呼びかけ人の大江は過去、ノーベル文学賞を受けた。その事実が当落に与える影響は否定できない。

 以上のとおり今後、日本の護憲団体がノーベル平和賞を受賞するリスクが高い。戦後七十年であり日韓国交正常化五十周年にも当たる今年は、起こり得る。現に有力候補ではないか。もし実際に受賞したらどうなるか。憲法改正に与えるダメージは計り知れない。改憲に向けた歩みは間違いなく停滞ないし後退する。「想定外」云々の釈明は許されない。リスクを見据えた危機管理が必要である。

9条だけではない平和憲法

 そもそも憲法9条は、ノーベル賞の候補になるほど価値のある条文なのだろうか。よく「平和憲法」と言われるが、実は現在、158か国もの国々が平和憲法を保持している。牽強付会な見立てではない。平和主義は国際法上の原則である。だから多くの国の憲法で明記されている。日本国憲法の“専売特許”ではない。

 平和主義は日本国憲法から生まれた独創的な考えではない。事実、第一次世界大戦以前から、国際条約や諸外国の憲法で条文化されていた。しかし第一次世界大戦が勃発。その反省から国際連盟が誕生したが、やはり第二次世界大戦を防止できなかった。

 そこで国際連合は憲章で「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」と明記した(2条3項)。国連海洋法条約も「平和的手段によって紛争を解決する義務」を定めている(279条)。いまや「紛争の平和的解決義務は、国際慣習法上の原則ないし普遍的義務」である(山本草二『国際法』有斐閣)。

 加えて、第二次大戦後に制定された憲法の多くが、何らかの表現で平和主義をうたっている。188か国中、158か国。全体の84%を占めている。日本だけが「平和憲法」を掲げているわけではない。たとえばハンガリーやイタリア、フィリピンなどの憲法も、日本と同じように「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄」している。

 ゆえにもし、憲法改正や解釈変更が平和主義を捨てることになるなら、世界中で戦争が起こっているはずである。なぜなら世界中の国々が・平和憲法・の改正を重ねてきたからである。改憲が平和に反するなら、とうに世界中が軍国主義化しているはずだ。

 世界最古の近代憲法は一七八七年制定のアメリカ合衆国憲法だが、すでに18回改正された。一九四七年制定のイタリア憲法も17回、一九四九年制定のドイツ憲法は59回など、敗戦国の独伊を含め、多くの国々が憲法を改正してきた。

 日本国憲法はどうか。ご存知のとおり、一度も改正されていない。“世界最古の憲法典”とも評し得る。あっさり言えば、時代遅れの憲法典である。ところが、なぜか憲法改正がタブー視されてきた。なぜ日本に限って「憲法を改正すると平和を守れなくなる」と危惧されるのか。

 答えは単純。「護憲派」がそう不安を煽るからである。要は、彼ら彼女らが、憲法改正を阻止するために流したデマに過ぎない。そもそも憲法のどこを、どう変えるのか。その中身を議論せずに、改正そのものを敵視するのは党派的な独断である。

 たとえば、戦力不保持を定めた九条二項だけを改正し、侵略戦争の放棄を定めた一項は残す。そして新たな二項で自衛隊を「国防軍」などと位置付ける。国防軍は自衛隊に代わって、より積極的な国際貢献活動に参加する。(内閣の憲法解釈で禁止されている)武力を伴う集団安全保障措置にも参加する。こうした改正なら「平和主義を捨てる」どころか、現在より「積極的」な「平和主義」とも評し得る。要は、中身次第ではないだろうか。

 読売新聞による最新の世論調査では(三月二十三日付)、「今の憲法を、改正する方がよい」が51%で「改正しない方がよい」の46%を上回った。時事通信の世論調査でも、「全面的に改め、新しい憲法とすべきだ」が14・4%、「平和主義や国民主権など現行憲法の柱は 堅持した上で、必要な改正を行うべきだ」が58・7%を占め、「憲法改正は行うべきでない」の18・6%を凌駕した(三月十三日配信)。憲法改正への理解や気運は確実に高まっている。絶好のチャンスを無駄にしてはならない。