自衛官にこそノーベル賞を

 護憲派も危機感を抱いているのであろう。いまも集団的自衛権で「平和が死ぬ、戦争になる」「徴兵制になる」等々デマを流し、不安を煽っている。護憲派は、かつて防衛庁が防衛省に昇格したときも、自衛隊がイラクに派遣されたときも、戦後初めて国連PKOに自衛隊が派遣されたときも「憲法違反、平和が死ぬ」と合唱した。だが、結果そうなっていない。すべてデマだった。

 名実ともの憲法「改正」なら心配いらない。なぜなら読んで字のごとく「正しく改める」のだから。たとえば前述の改正案なら、抑止力が高まり、むしろ平和と安定に寄与するであろう。そうなると困る陣営がデマを流している。

 危険を顧みず、わが国の平和と独立を守っている自衛隊を、日本国憲法は“無視”している。そんな「平和憲法」を守った結果、自衛官の生命や平和が失われる。それこそ本末転倒ではないだろうか。

 戦力不保持を明記した憲法は、日本の九条だけではない。スイス憲法もコスタリカ憲法も常備軍の不保持を明記している。

 エチオピア憲法のように、軍隊に対するシビリアン・コントロール(文民統制)を明記している国々もあるが、日本の憲法九条にそうした規定はない。六十六条二項に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と定めただけである。自衛隊は憲法上、悪く言えば、野放しに近い。「専守防衛」などの基本政策も憲法上は明記されていない。
ソマリア沖アデン湾で、航行する船舶の識別作業をする海上自衛隊P3C哨戒機内の隊員=2015年8月1日(共同)
ソマリア沖アデン湾で、航行する船舶の識別作業をする海上自衛隊P3C哨戒機内の隊員=2015年8月1日(共同)
 カンボジア憲法のように、核兵器の廃絶を明記した国々もあるが、日本の「非核三原則」は憲法で明記されていない。政府は「自衛のためなら核兵器の保有も可能」と解釈しており、日本国はアメリカの「核の傘」に入っている。

 またモンゴル憲法のように、外国軍の基地を置かないと明記した国々もあるが、沖縄はじめ日本には米軍基地がある。等々「わが国憲法よりもよほど徹底した平和主義条項をそなえている国が多くみられる」(西修『日本国憲法を考える』文春新書)。

 それでもなお、日本国憲法第九条にノーベル平和賞の価値があると言えるだろうか。くどいようだが、戦後の平和を守ってきたのは九条ではなく日米同盟である。陸海空自衛隊と米軍である。

 とくに自衛隊は憲法九条のもと、武器使用の手足を縛られながらも、危険を顧みず、内外で驚嘆すべき実績を重ねてきた。それなのに実任務で一人の犠牲者も出していない。命を奪ったこともない。以上の点が米軍とは決定的に違う。世界各国の軍隊とも違う。

 日本の自衛官こそノーベル平和賞に相応しいのではないだろうか。私は以前から本気でそう訴えてきたが、残念ながら同調する声は小さい。このままでは「九条の会」が受賞するかもしれない。防大生や自衛官を誹謗し、デマを流し続ける団体が受賞し、自衛官は候補にもならない。それは不条理きわまる。

 このままでは木の葉が沈み、石が浮く。彼らの動きを傍観することは許されない。


うしお・まさと 昭和35(1960)年生まれ。早稲田大学法学部卒。旧防衛庁・航空自衛隊に入隊。大学院研修(早大院法学研究科博士前期課程修了)、長官官房などを経て3等空佐で退官。帝京大准教授など歴任。東海大学海洋学部非常勤講師(海洋安全保障論)。『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)など著書多数。