日帝風水謀略説


 さらには韓国独立五十周年を記念した「歴史立て直し事業」のなかで、日本により断絶された朝鮮風水の地脈を復興しようと杭除去運動を開始した。

 これは日本が風水によって朝鮮民族の精気を奪おうと杭を打ち込んだとされるもので、「日帝風水謀略説」とも呼ばれている。

 朝鮮半島は風水に対する信仰が根強い地域であったため、日本が鉄道を敷設したり、建物を造ろうとすると風水を断ち切るとされ、各地で反対運動が巻き起こった。

 これは齋藤実朝鮮総督が、「工事を止めてしまえ」というほど、アタマの痛い問題であったが、最終的には朝鮮王であった李垠(一八九七~一九七〇)の同意によって進められることになったが、韓国では未だに日本軍による陰謀説が語りつがれている。

 金泳三はこの工事で埋め込まれた杭が、朝鮮を呪うものであるとして、これらの除去作業を命じたのである。

 だが日本ではそもそも風水などそれほど根付いていないように、荒唐無稽な話以外の何物でもなく、事実、韓国で引き抜かれた多くの杭は、単なる測量用の杭に過ぎない。

 しかしながら韓国では現在でも測量技術に対する理解は低く、二〇〇六年には「山の頂上部で発見されたのだから、測量用である可能性は薄い」などとメディアが平気で報じる始末である(山頂などに測量用の三角点を設けることは日本人なら高校生でも知る常識であろう)。

〈日韓首脳会談〉
 日韓関係は未来志向であるべきだが、日本の正しい歴史観が前提にある。
 日本は植民地支配、侵略戦争を行ったことをきちんと直視すべきだ。植民地支配を含め、日本が韓国を支配した期間は四十年を超える。その間、韓国国民は苦しみと悲しみを味わった。日本は経済力だけでは、これまで以上に世界の尊敬は受け難い。日本の指導者が正しい歴史認識を持って政策を進めることを期待したい。(一九九五年十一月十九日)

〈竹下登元首相らと金泳三大統領との会談〉
「『近くて遠い国』を『近くて近い国』にするには指導者、政治家の言葉が重要で、政治家は歴史を重んじる必要がある」(一九九六年十二月十七日)

〈村山富市首相との会談〉
「日本の一部に『日本が戦った相手はアジアではない』との意見もあるが、それはアジアの人たちが決めることで日本の人が決めるのはおかしい」
「過去の正しい清算が必要で、両国の学者が一堂に会して、例えば伊藤博文が何をしたのか、などの歴史的事実をきちんと調べてはどうか」(一九九五年四月十三日)

(5)金大中 第十五代韓国大統領。在任期間=一九九八~二〇〇三

 金大中(キム・デジュン)は朴正熙大統領と対立し、東京で韓国情報機関に逮捕、拉致された経歴をもつ(金大中事件)。その後、死刑判決を受けるものの、減刑されてアメリカへと亡命した。のちに帰国して四度目の挑戦で韓国大統領に就任した。

訪日日程を終え、特別機で帰国の途に着く韓国の
金大中大統領夫妻=2000年9月24日
 日韓の歴史問題については「韓国と日本の関係において、私は門を開く役割を担いたいと願っている。何よりも両国の指導者の思慮のなさと過ちからくる、両国民の間にある不信と憎悪の門の、何と固く閉じられていることか」(『金大中獄中書簡』、岩波書店)と述べているように、政治活動を始めた当初から、日本との軋轢の原因となっている歴史問題を克服しようとした。

 「韓国政府は、過去の問題を持ち出さないようにしたい。自分が責任を持つ」と述べたほか、映画や音楽など日本文化も開放することを表明し、日本との垣根を取り払うよう尽力をしている。

 さらに一九九八年に訪日し、天皇陛下と拝謁した際にも、植民地支配には言及せず、戦後日本の発展と平和主義を讃え、韓国への支援を求める内容となっていた(訪日に先立ち、政府として天皇を表す「日王」の呼称を改め、「天皇」を使用することを公式に宣言した)。

 彼自身、自らの伝記に日本統治時代の創氏改名などを批判しつつも、次のように記している。
「そういう重苦しい日々のなかでしたが、東アジアで日本だけが近代化に成功したという事実が私たちにある希望を与えてくれたことも事実でした。

 小学校、商業学校を通じて日本人の先生から大きな影響を受けたことも数知れないほどありました。私の人間形成に影響したのも日本人の先生方の言動でした。暗い記憶ばかりの毎日でなかったことは、申し上げておきたいと思います」(『わたしの自叙伝─日本へのメッセージ─』日本放送出版協会)

 このように日本統治へ一定の評価をおこなっている点も、他と異なり日本に対し柔軟な対応をとった理由であるように思える。

 もっとも二〇〇一年に「新しい教科書をつくる会」が教科書修正を求める運動を起こした際にはこの活動を外交問題として捉え、クレームを入れてきているが、金泳三時代と比べると日韓関係に尽くしたという意味では評価できるとする声もある。

〈宮中晩餐会後、韓国大統領府スポークスマンによる感想〉
 日本が過去、韓国から文化の恩恵を受けたことを天皇が直接認めたのは意味がある。また、天皇は(過去、日本が韓国に対して)被害を与えたことを悲しく思っているとおっしゃっている。そういうことを考える未来の若者のために、二十一世紀を新しく迎えようという意思が入っていると思う。(一九九八年十月八日)

〈鳩山由紀夫民主党代表と教科書問題において会談〉
「今が非常に大事だ。小さな傷が体全体に広がる大きな病に至る可能性がある」
「心に受けた衝撃は大きい。誤って処理された場合、両国関係に悪い影響を与えることを強く懸念する」
(韓国政府に対し)「むやみに感情的に反論せず、学問的、実証的に検討し、日本が自発的に修正するよう自制的に行動することだ。日本人すべてが(つくる会の)教科書支持ではない。十分区別すべきだ」(二〇〇一年五月四日)

(6)盧武鉉 第十六代韓国大統領。在任期間=二〇〇三~二〇〇八
盧武鉉元大統領=2003年
盧武鉉元大統領=2003年
 盧武鉉は日本統治を経験していない初の大統領として注目を浴びた。

 苦学して弁護士となった後、盧泰愚大統領の時代に野党議員として名を馳せ、金大中前大統領の政策の継承を訴え、インターネットを基盤とした支持層を得て大統領に就任した。

 行政能力に乏しく、政権末期では支持率は一割程度にまで下落した。さらに清廉であるとされ支持をされていたにも関わらず、収賄や不正献金で親族の逮捕が相次ぎ、自身も逮捕が近づくと崖から身を投げて自殺した。

 盧武鉉大統領も就任当初は未来志向を謳い、対日重視の姿勢を見せていたものの、裏では元人権派弁護士として活動した経歴が示すように、日本に対する「歴史の清算」を求めるようになってきた。

「米韓共通の敵」


 小泉純一郎首相(当時)が靖國神社に参拝することを表明すると、「過去の戦争を誇り、栄光のように展示していると聞いている」「(靖國神社は)過去の戦争と戦争英雄を美化し、これを学んだ国が隣りにあり、こうした国が膨大な経済力と軍事力を持っている。(韓国など)その近隣国が過去に何度も苦しめられたことがあるならば、国民は未来を不安に思わざるを得ない」と、靖國神社を批判したほか、首脳会談をキャンセルするようになった。

 さらに韓国にいる親日派の財産を没収するため、「親日反民族行為者財産調査委員会」を発足させ、親日家だと認定された人々の子孫のもつ財産を没収することを合法化させ、日本側の制止を無視して竹島の海洋調査をおこない、日本に対しては「武力行使もありえる」と恫喝し、事実、島根県内の防衛庁(現在の防衛省)施設に対して軍事攻撃を行なうよう検討していたことが明らかになった(『ワシントンポスト』、二〇〇六年四月二十一日)。

 またアメリカ軍に対し「日本を米韓共通の敵として、仮想敵国にしよう」と要請し、関係者を当惑させるなどしている。

 盧武鉉大統領はこれだけにとどまらず、日本海を「東海」と改称するよう求め、新しく「平和の海」と呼ぶように提案するなど迷走をつづけた。

 盧武鉉大統領の異常なまでの反日は、日本統治時代を経験していない世代、つまり反日教育を受けた世代であったと言われているが、日本では年長者の女性を中心に二〇〇四年の韓国ドラマ『冬のソナタ』ブームが起こる一方、若者を中心として二〇〇五年には嫌韓ブームが助長されることになった。

 盧武鉉大統領による負の遺産は、今なお日韓関係を損なう障害へと繋がっている。

〈盧武鉉大統領による就任二年目の国会演説〉
 歴史問題を処理するドイツと日本の異なった態度は多くの教訓を与えてくれる。態度によって周辺国から受ける信頼も違う。過去に率直にならねばならず、そうすることで初めて過去を振り払い未来に向かうことができる。(二〇〇五年二月二十五日)

〈日韓首脳会談〉
 総理の靖國参拝や最近の多数の政治家による参拝は韓国に対する挑戦でもあり、日本が過去に戻るのではないのかという懸念がある。韓国国民の考え方をよく分かってほしい。靖國参拝、歴史教科書、竹島(韓国名・独島)問題の三つの問題をぜひとも解決する必要がある。(二〇〇五年十一月十九日)

(7)李明博 第十七代韓国大統領。在任期間=二〇〇八~二〇一三

 李明博大統領は大阪市生まれで在日韓国人の出身である。

 金大中、盧武鉉と二代続いた左翼政権によって経済が停滞したため、現代建設を世界有数の企業に押し上げた経歴から、経済再生の手腕に期待が集まり、対抗馬に大差をつけて当選した。
 しかし就任直後から米国産牛肉の輸入制限緩和がBSE問題への危機意識と直結し、支持率は一機に一割代まで下落した。

 その後、支持率は三割程度まで回復したものの、世界金融危機などを受け、再度下落。国民が期待した「経済大統領」というイメージからは遠いまま、大統領の任期を満了した。

 日本との歴史問題については、

〈李明博次期大統領と外国メディアとの会見〉
「新しい韓日関係のためには(韓国への)謝罪や反省をしろという話はしたくない。今の日本はそれを要求しなくても話し合いができるほど成熟した外交ができる」

 との意見を表明し、二〇〇六年一月のダボス会議では「一部アジアの政治指導者は、過去の歴史に縛られて、国家間の緊張を高め、未来を暗くしている」と、過去の歴史にとらわれる盧武鉉前大統領を暗に批判する余裕をみせていたが、真意は日本が歴史問題に対し、韓国への謝罪や賠償を自発的に行なうことを促すことであった。

 そのため日本の学生に竹島は韓国の領土であることや、日本統治の残虐性を教え込むため、修学旅行生を韓国内へ誘致することを発表したほか、従軍慰安婦への賠償金について「日本政府は法律的でなくとも人道主義的な措置を必ず取るべき」であると主張している。

 補足すると「法律的でなくとも人道主義的」という表現が示すように、日本の韓国への賠償金問題は一九六五年に日韓基本条約が締結され、国交の回復がおこなわれたときに「完全かつ最終的に」解決されたのであり、従軍慰安婦への賠償金を対象に含めなかったのは韓国政府の問題である。

 政権末期になると李明博韓国大統領の反日発言はエスカレートし、二〇一二年八月十四日には、天皇陛下について「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」、「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と謝罪を要求する発言をおこなった。

〝痛惜〟とは盧泰愚大統領が訪日した際に、天皇陛下が述べられた御言葉である。

 また同年十五日には慰安婦問題について、「日本軍慰安婦被害者問題は人類の普遍的価値と正しい歴史に反する行為」だと述べた。
就任式を終え、李明博前大統領と会場を出る韓国の朴槿恵大統領=2013年 2月25日午前、ソウルの国会前広場
就任式を終え、李明博前大統領と会場を出る韓国の朴槿恵大統領=2013年 2月25日午前、ソウルの国会前広場
(8)朴槿惠 第十八代韓国大統領。在任期間=二〇一三~

 朴槿惠(一九五二~)は、よく知られているように朴正熙元大統領の長女として生まれた。

 母親の陸英修が暗殺されると二十二歳でファーストレディーの役を継承。父が暗殺された後は政治からは身を退いていたが、九七年のアジア通貨危機をきっかけに政界復帰。二〇〇四年にはハンナラ党代表に選ばれ、党をけん引した。

 東アジア初となる女性大統領であり、韓国のサッチャーなどと言われている。

 父親の朴正熙大統領は経済発展に必要な外貨を獲得すべく、経済資金が得られる日韓基本条約の締結を急いだ人物であった。

 当時、カネのために民族の主体を売ったとして、反対勢力から「物乞い外交」と批判されている。

 現在の韓国政府は「過去の歴史」をエサにし、官民あわせて「物乞い外交」を恥ともしていないが、この当時はまだそのような気概があったのであろう。

 朴正熙は貧しい農家に生まれ、一人、日本人教師に教えて貰った剣道のマネをして遊んでいたという。

 成績優秀であった彼は学校推薦で大邸師範学校(官費)へ入学。日本の軍事教練が好きで、ラッパ手に選ばれ喜んで吹いていた。

 学校を卒業すると教員生活を捨て、日本の職業軍人になることを決意。至誠を示すべく、血書を書いて新京軍官学校(旧満州国・新京)の試験を受けた。

 朴は全学生の模範となり、成績優秀者だけが選ばれる連合大演習の指揮を任せられるにいたった。

嫌韓が激化するだけ


 卒業時には満州国皇帝の前で卒業生代表として答辞を読み、金時計が下賜された。さらに日本の陸軍士官学校(五十七期)に入学する特典を得た彼は、日本名を高木正雄と名乗り、同校を優秀な成績で卒業した。

 新京軍官学校校長であった南雲親一郎(後に中将)は、「半島出身ではあるが、精神においては完全に日本人である。高木生徒のように天皇陛下のためにたてまつり、忠誠心のあつい者は日本人にも稀である」と讃えた。

 このような経歴を持つ朴正熙の娘だということで、一部の日本マスコミにおいて、朴槿惠の時代になれば、日韓関係は融和されるのではないかという楽観論が浮上したが、それは長くは続かなかった。

 就任後、間もなく開かれた式典で、

〈三・一独立運動式典での演説〉
「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」(二〇一三年三月一日)

 と発言。さらに五月六日での国会答弁では、

〈金奎顕外務次官がオバマ米大統領との首脳会談における朴大統領の訪問目的について〉
「「日本が『普通の国』になる前に、心から過去を悔やみ、新たに出発することを確実にしなければ、周辺国の懸念が残る」という点を米国に説明したい」(二〇一三年五月六日)

 と述べた以外にも、

「今が日本が許しを得られる最後のチャンス」「日本が歴史を正視し、歴史が残した傷跡を癒す努力をする」(慰安婦問題について)
「北東アジアの平和のためには日本が正しい歴史認識を持たねばならない」(オバマ大統領との会談)
「(日本の)右傾化は北東アジアだけでなくアジア全体(の国家)との関係を難しくし、日本にとっても望ましい方向ではない。日本は深く慎重に考えてほしい」

 などと対日批判が止む気配はない。

 以上、足早に歴代韓国大統領の反日言論を眺めてみたが、発言の内容を要約すれば、

①韓国側の言い分をのまない限り、韓国は延々と過去の歴史カードを使いつづける。
②日本が韓国のことを考え譲歩すれば、韓国側はチャンスとばかり次々と要求を強める。

 ということに尽きるのであり、日本が譲歩することは日韓友好とはなりえない。仮に日本が要求を呑んだとしても、真実を捻じ曲げた日本にはフラストレーションがたまり、ますます嫌韓運動が激化していくのみである。

 日本と韓国が真の融和をするには、韓国への温情を廃し、国際法の手続きに則って粛々と抗議をおこなうこと。そして韓国における親日家を育成・支援するよりほかはないのかもしれない。

 もしくは融和などという言葉を捨てて、淡々と付き合う他ないか……。

げんこつ・たくふみ 1976年生まれ。漢学、東洋思想、東洋史の研究をおこない、名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)、杉之尾宣生(元防衛大学教授)に師事。日本のみならず、中国・韓国などで論文や研究発表などを精力的におこない成果を挙げている。著書は『韓国の歴史教材「東アジア史」の真実』( PHP研究所)、 『昭和の戦争の真実 語り継ぐ70の秘話』(扶桑社)など多数。