小沢一郎氏の「贖罪史観」

撮影:下川正晴
金九の墓(撮影:下川正晴)

 ホテルに戻ってネット検索していたら、日本の野党政治家・小沢一郎氏が1999年4月18日、ソウルの孝昌公園を訪れ、金九の墓(写真)と李奉昌ら「韓国3義士」の墓に参拝していることが分かった。当時の「東亜日報」がそう書いている。「東亜日報」は先述したように、昭和天皇に向かって手榴弾を投げる李の銅像建立を後援した新聞社だ。

 この記事によると、小沢氏は訪韓に先立って産経新聞とのインタビューで、「韓国人に心を開くことできる行動をまず日本人がとろう」と述べたそうだ。上記のような歴史的事実、銅像、その建立経過などを十分に事前調査したのだろうか。中途半端な「贖罪意識」が一番悪い、日韓関係を悪くする、と僕は思う。韓国は急激な経済成長に国民意識の発達がついて行けず、「夜郎自大化」しているのだから、なおさら始末が悪い。

 「尹奉吉記念館」には、爆弾事件で重傷を負った村井総領事の遺族が寄贈した「事件当時の眼鏡」が展示してあった。遺族としては「友好第一」の気持ちなのだろうが、展示品を見た感じでは、韓国側は「戦利品の展示」という印象でしかなかった。島国日本には、国際感覚に欠けるところがある。自分の意志を素直に受け取ってもらえるという甘えがある。気をつけたい。

「歴史的な無知」に居直るなら、小泉首相の良き先例がある。かつて彼はソウル西大門刑務所跡を参観した際、「日韓双方ともに、お互いに、過去を反省すべきですな」と言って、韓国マスコミを激怒させた。韓国メディアには「悪いのは日本だ」という固定観念があるからだ。しかし、僕には小泉首相の発言は正しい指摘だと思える。韓国側の歴史認識にも大いに間違った所がある。堂々と議論を展開すればいい。

 「韓米離間策」。これが韓国人の新しい対日非難だ。今回のソウル滞在中に、この言葉を意外な友人から聞き、韓国マスコミが喧伝している「対日用語辞典」が幅広く影響を与えていることが分かった。韓米離間策とは「日本が米国と韓国の仲を引き裂こうと、いろいろ画策している」という話だ。これが「被害者」としての立場からの発想であるのが興味深い。どこの国民も自分が歴史の被害者であることを強調する。ポイントは、それが客観的に見て真実か、ということだ。

 日本による「韓米離間策」が現状を的確に表現したものかどうか。悪のりする日本メディアもいるが、「韓国の中国接近への懸念」が必ずしも的外れでないことは、訪韓中に読んだソウル大教授による朝鮮日報への寄稿を読めば、明確であろう。韓国人学者が米国に行くと、米国専門家が韓国政府の対中姿勢に対して、問わず語りの不満を語っているからである。

 韓国でのもうひとつの見方は「親中事大主義」。これは僕が今回長時間話し合ったジャーナリスト趙甲済さん(元「月刊朝鮮」編集長)の最新レポートの題目だ。しかし、韓国メディアに登場する用語は、圧倒的に「韓米離間策」が多い。

 どうしてなのか? 理由は簡単だ。それが最近の韓国報道陣の「メディアフレーム」だからだ。自分自身がよく理解できない状況について、新聞記者は誰かが言った「現状解釈の枠組み」を援用して記事を作ってしまう。ジャーナリスト(時代を記録する者)として一番警戒しなければならない姿勢だが、どこの国のマスコミでも、これが一番多い。それが社内の安定した地位確保にもつながるからだ。つまり、新聞記者(特派員)は取材対象や読者ではなく、本社の意向を忖度しながら記事を書く。(笑)

 読者としてはどうすべきか。マスコミ報道を見ていて「どこかで聞いた台詞だな」と思ったら、必ず疑ってみる姿勢が必要だ。マスコミ出身の僕が言うのだから間違いない。いや、こういう発言から疑って、自分の頭で分析してみてください。新しい視角を世界は求めています。(笑)

 話が脱線したついでに、もうひとつ。訪韓中にいろいろ話し合った黒田勝弘氏(産経新聞客員論説委員)の最新刊「決定版 どうしても”日本離れ”できない韓国」(文春新書)に、安倍首相が例の「731部隊」と同ナンバーの戦闘機に乗り、韓国メディアから猛バッシングを受けた事例が書いてある。

 今回の訪韓中に、僕もこの「アベ=731論」を韓国人ライターから持ち出され、大いに驚いた。こんな馬鹿げた話を信じているのか。あきれてしまい、カフェで猛烈に反論した。僕のあまりの剣幕にたじろいたライター氏は、「席を替えましょう」と言い、店の外に出た。結果的に僕は「韓国人は日本人から韓国語でシビアな反論に会うとひるんでしまう」という経験則を再確認したのだが、それほど「アベ=悪のシンボル」論は韓国社会でマンエンしているのだ。こういう時に、日本人は懇切丁寧かつ厳しく真相を話してあげないといけない。日韓は死んでも隣国同士だ。これが地政学上の運命だ。「韓国とはもう断交だ!」とプッツンしても、始まらないのである。

京城の「モボ・モガ」


 旧態依然たる「田舎民族主義」の展示館に混じって、ソウルの「モダンボーイ」「モダンボーイ」が登場する博物館もある。その名も「ソウル歴史博物館」。中心部・光化門交差点から西へ、徒歩5分の場所にある。入場無料。ぜひ行ってみてください。

 見どころは3階の「日本統治時代のソウル」だ。ここは「奪われた京城」「抗日運動の中心」「京城都市紀行」「戦争の影」の4コーナーから構成されているが、圧巻は「京城都市紀行」のスペースだ。ここの展示を見ると、京城がとても発展した近代都市だったことが一目で分かる。こんな展示スペースは、大韓民国でここしかない。

 子供向けの黄色い説明板に、以下のようなことが書いてある。見出しが「京城スタイル」。聞き慣れない言葉だが、これが世界中で大ヒットした韓国製ラップ「江南スタイル」をもじった言葉である。

 「京城の人々は国を失った悲しみと、日本人の差別待遇に哀しみを感じつつも、新たに接することになった近代文物に次第に適応して行ったんだよ。(中略)京城の人々は、日本人の強圧に抵抗しつつも、一方では新しい近代文化に習熟し始めた。このような中で1920ー30年代、京城の都心で流行をリードする若者たちを『モダンガール』『モダンボーイ』と言ったんだよ。彼らは西洋式文化を受け入れるのにとても積極的で、高価な洋服にべっ甲の眼鏡、ストローハットをかぶり、京城の街通りをかっ歩したんだってさ」

 堅苦しく言えば、旧来の「植民地収奪論」の包装の中に、最近の「植民地=近代化」論を内包しているのが、ここの展示の特徴だ。2002年に開館した当時から、このコーナーは京城市内を走る路面電車を再現するなどユニークな展示が見られたが、ここに来て収蔵品が増加し、展示の仕方もさらに大胆かつリラックスしたものになった。
撮影:下川正晴
 「京城のモガ・モボ」を描いた当時の新聞挿絵(撮影:下川正晴)

 「京城のモガ・モボ」を描いた当時の新聞挿絵(写真)のほか、彼らが愛用した化粧品やチョッキ、時計、ひげ剃り、さらに京城案内地図、絵はがき、「味の素」の広告、雑誌「朝鮮の自動車」、京城電話番号簿、百貨店の宣伝チラシ、有名レストランの写真、美人キーセンの絵はがき、レコード、ラジオ、映画のパンフ、雑誌、学校や「文化住宅」の写真、スポーツ大会の写真など、ありとあらゆる近代文物が展示してあって、圧倒されてしまう。植民地時代に「三越京城店」は、東京、大阪店に次いで売り上げが多かったというから、この繁栄ぶりは当然なのかもしれない。

 その中でも圧巻は、本町(いまの明洞)や鐘路、光化門・太平路の街並み地図と当時の建物写真だ。これは漢陽大学建築学科の冨井正憲教授ら日韓研究者が苦労の末に作り上げた。展示には、制作者として冨井教授の名前も明記してあり、フェアな扱いである。

 さらに同コーナーで上映されている動画には、京城時代の風物がどんどん出て来て、とても楽しい。10分間ほどの映像だが、よく見ていると、植民地時代に朝鮮総督府の監修で作られた劇映画の一部が収録されている。僕のような植民地映画研究者には、ことのほか興味深い。ざっと見たところ、朝鮮人特攻隊の奨励映画「愛と誓ひ」(1945)を含む数本の植民地映画から抜粋し、つなぎ合わせたようだ。

 特に「迷夢」(1936)は、伝説の美人女優・文藝峰(のちに北朝鮮人民俳優)がデパートで買い物するシーンや、ヒゲの男優とレストランでデートする場面、南大門から京城駅、龍山駅まで男性ダンサーの乗った列車を追いかけるシーンなどが、かなりの時間ピックアップされていている。この映画は現存する最古の朝鮮トーキー作品だ。「女性の自立」を批判的に描いているが、当時の映画スタッフが意識しなかった京城の都市光景が、フィルムの背景に映り込んでいる。「記録としての映像」の力を、再認識させてくれる。

 これらの映画は数年ほど前、北京の中国電影資料館の倉庫から見つかった。韓国映像資料院がDVD化して販売したが、現在は入手困難である。それだけに、「ソウル歴史博物館」で無料のダイジェスト版を見れるのは、なかなか貴重な機会なのだ。 

 「ソウル歴史博物館」は展示内容を収録した図録を、1階売店で売っている。韓国語、英語、中国語版がある。残念ながら、日本語版はない。しかし、図版をふんだんに盛り込み301ページ、約3500円。購入して帰国後、眺めていると勉強になるだろう。 

 ちなみに「京城」という言葉を、差別語だと言い募って来た人々がいる。慰安婦誤報で「有名」になった朝日新聞元記者の植村隆氏もその一人だ。著書「ソウルの風の中で」(1991)で、「忌まわしい名前」「都市の創氏改名」と言っている。これが全くのウソであることは、この展示内容から見ても一目瞭然だ。詳しくは、雑誌「正論」(2015年10月号)の拙稿「対韓贖罪史観に侵された『京城』問題と新聞社『内規』」を読んでほしい。