韓国の田舎民族主義

 
 韓国の「田舎民族主義」になぜ、注目するのか!? もちろん、日韓両国にとって、危ないからだ。「田舎民族主義」とはまことに失礼な言い方だが、これ以外に的確な表現を思いつかない。

 4年後は「大韓民国臨時政府」樹立100周年になる。「3・1独立運動100周年」だから、これは当然だ。「大韓民国臨時政府」が韓国内でさらに注目されそうだ。憲法前文を楯にした対日歴史攻勢も、強まるだろう。なぜなら、北朝鮮(金日成のカリスマ)に対抗して韓国政府が「政権の正統性」を主張する際、この臨時政府こそが最大の「アリバイ」だからだ。

 いま韓国では「教科書問題」が火を噴いている。左派の国史教科書が氾濫したため、政府が国定教科書を復活させることにしたのだ。この場合でも「臨時政府」をどう評価するかが大きなポイントだ。

 韓国の「歴史的建造物」は時間が経つにつれ、どんどん立派になって行く傾向がある。

 その一例が、小泉首相も訪問した西大門刑務所跡だ。1985年、ソウルの延世大学に留学中、僕はこの近くに下宿していた。時々、刑務所跡に散歩に出かけた。約20年後、ソウルの某大学の客員教授になってソウルに住んでいたころ、この刑務所跡を再訪して驚いた。展示物が増えて、外装も立派になっていたからだ。そのころには地下鉄「独立門」駅から展示が始まり、中国からの自主独立を意味する「独立門」は、日本からの独立を意味するかのように誤解させる内容になっていた。

 かつて文化広報省の建物があった光化門近くの一帯は、「大韓民国歴史博物館」に変貌していた。5階建ての近現代史博物館だ。2012年末に出来たというが、特別に目新しい展示はない。この国の人は本当に「歴史博物館」が好きだ。ソウルのど真ん中にできた「大韓民国のPR館」だが、それが外国人の目には、韓国近代史の「恥ずかしい歴史」を糊塗する建物と映っていることに、気づかないのだろうか。

撮影:下川正晴
北品川にある「相模屋」跡(東京都品川区) 撮影:下川正晴
 帰国の朝。空港に向かうバスの車窓から、写真7のような光景を見かけた。光化門から西大門に向かう途中、京郷新聞社ビルの反対側である。この周辺一帯を「歴史公園」として整備する計画があり、地元民が反対しているらしい。

 数年後には、計画通りの「歴史公園」が造成され、過剰包装の「歴史」が展示されることになるのだろう。それで、いいのだろうか?! 反対者の横断幕には、ここで商売して来た住民の「歴史」をどう考えているのか、という抗議文が見えた。なんとも皮肉な光景だ。

 100年、200年後の韓国民は、21世紀初期の韓国を、過去の歴史をぶち壊し、画一的な街づくりを行った時代と記憶するに違いない。すでに他の都市整備で見られるように、最近の韓国で行われている街区整備は、旧時代の良さを残さず、それを恥じるかのような、国籍不明のピッカピカで薄っぺらな街づくりで満ち満ちている。

 急激な都市整備は、韓国社会の急激な民主化がもたらした弊害に通底するものを感じる。

 過去の「親日」時代を恥じ、過去の「開発独裁」時代を恥じて、それらがもたらした遺産を省みることがない。国定教科書に反対する「親日・独裁の歴史を固着させるな」という横断幕が、その典型だ。薄っぺらな歴史観だ。先人たちの労苦を思い偲ぶことがない歴史観だ。韓半島に生きた人々の歩みは、そんなに価値のないものだったのか?
 ソウルを去る日、通り過ぎるバスから見かけた街頭の光景は、自国史を考える時にも自戒すべき点であると思った。

「日韓テロリズム」を考える


 ソウルから帰国した4日後、品川区立「品川歴史館」(大井6丁目)に出かけた。ここでは、開館30周年記念特別展「東海道品川宿」を開催中である。北品川の遊郭旅籠「相模屋」の模型があるので、是非、行きたいと思っていた。


 「相模屋」は川島雄三監督の名作「幕末太陽伝」(1957)の舞台になった遊郭だ。フランキー堺(居残り左平次役)主演、石原裕次郎(高杉晋作役)助演の楽しい映画である。模型は歴史館2階にあった。素晴らしいのは、「相模屋」の2階から外を見ている男女の人形があったことだ。これは英国公使館が燃える様子を見ていた、映画のフランキー堺と遊女そのままである。

 「品川歴史館」からの帰途、北品川の「相模屋」跡に行き、写真を撮影した。そこにある小さな標識を見ながら、僕は「日韓のテロリズム」について考えた。

 安重根のテロリズムに倒れた伊藤博文が、若き日はテロリストだったことは意外と知られていない。伊藤は文久2年、麹町の路上で塙次郎を殺害した。このことを伊藤は後々まで、気に病んでいた。「伊藤博文伝」に載っている事柄だ。

 僕が北品川で見た「相模屋」跡地は、高杉晋作らが英国公使館の焼き討ちを謀議し、実行のために出撃した遊郭があった場所だ。いま、ここは「ファミリーマート北品川店」になっている。高杉らも幕末の攘夷テロに手を染めた「志士」だったのだ。伊藤もこの焼き打ちに参加した。

 久しぶりに訪韓した僕は、ソウルのあちこちで韓国テロリストを「抗日義士」として顕彰する銅像を見た。これらが、1980年後半以降に建てられているのを見て、韓国人の無神経さに驚き、「韓国ナショナリズムの病巣」に困惑した。日韓には、歴史的事実のモニュメント表現をめぐって大きな違いがある。いま北品川のファミマ前には、英国公使館焼き討ちを記念する銅像はない。写真の小さな標識があるだけだ。事件から100余年。それが独立国家の矜持というものだろう。

 弱小民族がテロリズムに訴える事は、現代世界でもありうる。しかし、それを「歴史の教訓」として、どう記録し、どう表象するかが肝要だ。経済的には立派な先進国になったのに、いまも旧植民地の過去(テロリズム)に引きずられるのは、韓国人の精神衛生と国際協調上、まことによろしくない。

 元テロリスト伊藤博文は、朝鮮テロリズムに倒れた。テロリズムを称揚する大韓民国は何によって、自壊するのか。僕の推論は書かずともよいだろう。品川ーソウルー品川を往復しながら、こういうことを僕は思った。