また徴兵制を単なる苦役だと言い切るのも問題だ。現在でもスイスのような民主国家でも徴兵制を維持している国は存在する。また米国にして現在は志願制だが、徴兵制に切り替えることは可能である。スイスが徴兵制を維持しているのは、単に有事に軍隊を膨張させるだけが目的ではなく、国民に広く軍隊を経験させ、国防意識を涵養させようという国民的なコンセンサスがあるからだ。これを単に意にそぐわない苦役の強制」と断言してよいものだろうか。90年代以降徴兵制を廃した国々でもこの点で徴兵制維持を求める声が決して小さくなかった。

 徴兵制は非人道的な苦役の強要であると主張することは、徴兵制度を採用している国を「遅れた野蛮な国」と非難するに等しい。安倍首相はスイスなどを非人道的な国家と認識し、そのように呼ぶのだろうか。また我が国の軍事同盟国である米国は徴兵制を復活する可能性があるが、そのような「人権侵害」平然と行える「野蛮」な国と軍事同盟を結んでいることも問題ではないか。
 
 途上国にとって軍隊は国民の教育機関である。徴兵制を通じて読み書きや、集団生活、技術を習得させ、ネーションステーツ(国民国家)として基盤づくりに役に立てている。また産業が未熟な国では雇用対策という面も存在する。

 これはかつての我が国を顧みれば容易に想像がつくだろう。そもそも現在の我々のイメージする国家であるネーションステーツはナポレオン戦争時の徴兵制度で作られたと言ってもよい。それまではフランスでも国民はフランス人という意識が殆ど無く、ロレーヌ人やアルザス人であるという意識が強く、言葉も地方色が強かった。徴兵制が、軍隊という国家組織内で均一な教育を施し、同じ言葉で喋るようになり、行政機関や法整備を行ったことがネーションステーツを作ったといえる。

 現在でも部族社会が強く残っている国家、例えばアフガニスタンやイラク、多くのアフリカの諸国は多い。このような国では徴兵制と軍隊という「学校」がネーションステーツへの筋道をつけるために依然有用だろう。無論他の方法を否定するものではないが、現在の途上国多くは部族社会が紛争の大きな要因となっていることを思えば、強制力を持って国民を等しく教育し、同じ価値観を共有するする徴兵制度は大きなツールであることは間違いない。ただ、その軍隊が暴走することも得てしてある。それを否定はしないが、それを差し引いても途上国の徴兵制度は大きなメリットがあると筆者は考える。

 徴兵制度を単なる「意にそぐわない非人道的な苦役である」と主張するのは、部族社会を抱える途上国から、部族社会から脱皮する努力を否定することでもある。
 
 筆者も若い時代の一番楽しい時代を兵隊にとられることが無いに越したことはないと思っている。また多くの若年層を徴兵に取られることは経済的にも国家の大きな損失である。

 それは多くの人が同様に思うことだろう。できれば徴兵制はさけるべきで、そのために政治家も努力すべきだ。

 だがそれもイスラエルや韓国のように徴兵制を敷いている国々が存在するのだ。だが、国家の存亡が掛かっている時、徴兵制をとるか、個人の自由を尊重して苦役をさけるため医国家が滅亡する方を選ぶかという選択をつきつけられることが無いとは言えない。そのようなときに「意にそぐわない非人道的苦役の強要ですから、徴兵を行いません」といえるのだろうか。

 そもそも国を守る行為を単なる「意にそぐわない苦役」あるいは「人権侵害の苦役」のと断言するのは、政治家として国防に関する根源的な哲学や非常に浅く、国防を軽んじているからではないか。またこのような首相の発言、判断は国民にカネを払っているのだから、全部自衛隊に丸投げすれいい。自分たちには関係ない」という国民の国防軽視の意識を植え付けることになるのではないか。

 その場しのぎの国会対策のためにこのような軍事を忌諱し、また改憲を行わないと徴兵制度導入できないような隘路の我が国を追い込んだ安倍首相の責任は思い。将来逆に野党からは「だから自民党の改憲は徴兵が目的だ」と追求される種を蒔いたことにもなるだろう。

 これら点から、安倍首相は長期的に視野と歴史・軍事的資質に欠けている。彼の軍事・歴史・政治的な見識・認識は共産党あたりと大差ない。保守政治家としては失格である。つまり歴史に名を残すStatesman ではなく、単なるPoliticianにすぎない。