中選挙区時代に権勢を誇った派閥

昭和54年10月の衆院選で自民党が敗北し、記者会見する大平正芳首相
昭和54年10月の衆院選で自民党が敗北し、記者会見する大平正芳首相
 岸、池田、佐藤の3氏だけで5612日、15年以上にわたる長期政権が続いた後に、三木、田中、大平、福田、中曽根康弘(河野一郎派の流れ)の「三角大福中」の5氏の領袖による政権争奪戦はすさまじいものがありました。田中氏から三木氏へのバトンタッチ後は党内から猛烈な「三木降ろし」が吹き荒れ、結果として政権についた福田氏は政敵の大平氏を幹事長(総裁が首相職で忙しいため事実上の自民党トップ)にすえて安定を図るも再選を目指した総裁選の予備選挙で宿敵田中氏の強力な援護を受けた大平氏にまさかの敗北。

 大平政権では福田氏らが反主流に回って国会の首相指名選挙で自民党から大平、福田の2氏が争うという異例の展開となり、かろうじて制した大平氏も野党が出した不信任決議案が福田派や三木派が大量欠席したため可決成立してしまい解散を選択し総選挙中に急死。

 鈴木氏を挟んで政権を握った中曽根氏はロッキード事件のただ中にあった田中氏の支援を受け「田中曽根内閣」とからかわれていたのもつかの間、田中氏が東京地裁判決で実刑となるや田中氏との決別を宣言し得意の「風見鶏」の姿勢を露わにする……など凄まじいバトルを展開しました。田中氏のロッキード事件についても「政治は数。数は力。力はカネ」というあけすけな政治信条が「熱いお金」に手を突っ込ませたところが背景にあると推測されます。

小選挙区制への移行で弱体化


 前述のように派閥政治の源泉ともいうべき中選挙区制が93年発足の細川護煕非自民連立内閣が進めた「政治改革」で現行の小選挙区比例代表並立制に変わり、また派閥の弊害の最たるものとされたうさんくさいカネ集めを止めるべく導入した政党交付金によって派閥の意味に違いが生じてきました。

 それ以前にも派閥の限界を感じさせる出来事はありました。平成に入って最初の首相である宇野宗佑氏と次の海部俊樹氏はいずれも領袖ではありません。海部氏の後の宮澤喜一政権(領袖。池田派の流れ)で自民党が野党に転落し細川内閣が誕生。そこでの改革が大きな変化を生みます。

 小選挙区は1選挙区で1人しか当選しません。同一選挙区で他派閥と公認権や当落を競う必然性がなくなったのです。公認権を持つのは幹事長。したがって小選挙区導入時は党執行部が権力を握りました。野中広務、古賀誠といった大物幹事長が差配しました。

 ところが2001年に誕生した小泉純一郎政権あたりから雰囲気が異なってきます。「偉大なるイエスマン」といわれた武部勤氏を幹事長にすえるなど総理総裁が自ら候補者を決める権限を振るい始めたのです。真骨頂が2005年の「郵政選挙」で首相が推し進める郵政民営化に反対した自民党議員を公認せず、おまけに対立候補を公認して送り込むという徹底振りで大勝しました。

 小泉首相は政権発足から派閥の大臣推薦リストも無視してオリジナルな組閣を心がけました。派閥の大きな役割であった「適齢期に順送りで大臣になれる」システムも崩壊したのです。以後の自民党総裁・首相で領袖なのは麻生氏のみ。小泉、安倍、福田康夫の各氏は違います。

人材育成などで派閥の功績も

 「三角大福中」や「安竹宮」(安倍晋太郎、竹下、宮澤の各氏で派をあげて首相を競った)時代を知る政治家や記者の多くがこう言います。「ロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件……。確かに自民党の腐敗はひどかったし、政策無視の政争も醜かった。でも」と。当時の政治家は今に比べてスケールが大きく、その育成は派閥の功績だったかも知れないというのです。

 中選挙区時代は同じ選挙区の自民党議員と似たり寄ったりでは勝ちが覚束ないので違いを出すためにもさまざまな意見や主張が交わされました。派閥の領袖や先輩議員はカネを配るだけでなく選挙のイロハから教え込み、当選後は派閥ごとの得意分野の委員会などに所属して「族」となっていきました。この「族」もまた派閥政治の弊害とみなされる半面、一定分野に精通した専門家を育てたという面もあります。派閥を継承させるのが目的とはいえ有望な若手・中堅を次代の担い手に引き上げようという気風もみなぎっていました。田中氏は佐藤派に属しながら分離独立して田中派を立ち上げ、竹下氏はその田中派から分離独立しました。いわば飼い犬に手をかまれたも同然ですが、それでも「こいつはできる」という人材を排除せず要職にすらつけたのです。

 中選挙区は総得票の3分の1程度かそれ以下でも取り込めば当選可能でした。だから明確なカラーを打ち出しやすかったという面もあります。ところが小選挙区は仮に2大政党の激突となれば理論上51%を制しなければなりません。どうしても総花的な主張になりやすくなります。

 選挙区の小ささも問題で例えば東京都世田谷区は2つの選挙区をまたいでいます。区長選挙より狭いのです。当然そこでの議論も天下国家より身近な話題となりがちです。一方で「勝てる候補を」と考えるとどうしても地元に知名度がある二世や世襲が増えてきて大衆の生活目線など味わった経験のない「殿様」「姫様」を擁立する傾向にあります。

 派閥の力が低下したと言われるなかかつて「脱派閥」を唱えていた石破氏が新派閥を作るのはなぜでしょうか。一つには大臣こそ派閥順送りが廃されつつあるも、政府の副大臣、政務官や国会の役職、党役員人事などではまだまだ権限を振るう余地が大きく無派閥のままではそこに仲間を送り込んだり国政選挙で新人に公認をもらったりといった効果が期待できないためでしょう。総務省に派閥を政治団体として届け出れば政治資金パーティーも開けます。パーティーは既存の派閥も有力な資金源としているのでカネの面での配慮でもあるようです。

 岸田派は今回の内閣改造での冷遇で反主流派となるかというと、どうもそうした気配がありません。岸田氏自身は総裁選無投票に協力したのに待っていたのがこの仕打ちとなると、反安倍というより「うちのボスは大丈夫か」との方角へ向かいかねません。半面で古賀氏の影響力も衰えるでしょう。「安倍1強」状態維持で打った今回の人事はどうやら安倍氏の勝利に終わりそうです。

ばんどう・たろう 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト