なぜ北朝鮮による拉致被害者ではないのか


 私は、どんな国へ行っても、何をしている人でも、喋った相手は、みんないい奴に見えてしまう。だが、私のような経歴の人間がいい奴ばかりに囲まれて生きてこられるはずもなく、私に悪意を持ったり、やっかんだり、人種差別をした奴だって多くいたに違いない。鈍感な私が気づいていないだけだ。その信じがたいほど鈍感な私でも、事情をよく知りもしないのに、どちらか一方に加担することの愚かさだけは、身に沁みた。そして、その事情を理解するということは、簡単なことではなく、同じ時間を、同じ空間で、しかもかなり長い期間を、共に過ごさないと理解なんかできるものではない。

 今もアメリカ海軍の空母には、白人も黒人もネイティブアメリカンも乗り組み、あの時と同様の人間関係があるのだろう。皮肉なことに黒人もネイティブアメリカンも、それぞれの民族に誇りを持ちながら、民族の歴史を認識しながら、自分たちを屈服させたイデオロギーを、更に他の民族に強要する行為の最先鋒を担っている。片棒を担ぐどころではなく、ほぼ張本人になっている。それは、彼らが「独立した国家」を持たないからだ。黒人は、アフリカの地で暮らしていた自分たちを・かっさらってきて・アメリカ合衆国に連れ込み、奴隷として売買した者を恨み蔑んでいたし、ネイティブアメリカンは元々自然と調和して豊かに生きていた自分たちを消し去った奴を嫌っていたが、その忌み嫌うやつらの空母に乗っていた。

 あの時の私の「お前は、黒人の悪口言ってるけど、その黒人と同じアメリカ海軍に属して、同じ空母に乗ってるじゃね~か。インチキアメリカ人なんかやってね~で、独立戦争しろ」という言葉は、思い出すだけで身震いするほど、愚かで恥ずかしい発言だ。しかし、間違っていない部分もあると思う。そして、あの言葉はむしろ私自身に向けるべきものでもあった。あの時、本当に考えなければならなかったのは、自分のことである。

 「俺は、これに乗ってていいのか?」「俺が乗っている空母に爆弾を積んで突っ込んでいった先輩は、日本が日本の理念でものごとを決断し、実行できる国のかたちを守ろうとしたのではないのか?」

 あの時、少しは頭をよぎったものの、保留状態にしてそこで止まってしまっていた。

 だが、安倍首相の演説に強烈な違和感を覚えて、思い出したあの時の出来事の本質はここにあると思っている。首相が日本の理念でものごとを決断し、発言しているとはとても思えなかったから、違和感があったのである。どう考えても日本にとって最優先すべき対象は、北朝鮮による拉致被害者だろう。無理やり、あるいは騙されて拉致された彼らを放置しておいて、再三にわたる渡航自粛要請を無視し、自分の意志で、自己責任と宣言して行った人の事件をきっかけに法整備を進めると言ってみたり、必ず償わせると言ってみたり。彼ら2名をどうでもいいと言っているのではない。誰がどう考えたって、優先順位がおかしいだろうと思うのだ。
 独立している国だと思っていたが、実は空母に乗っている黒人やネイティブアメリカンと同じなんじゃないか? だって、自国の理念で行動しているように思えないことが多すぎる。憲法にしろ、外交にしろ……このまま今度は、集団的自衛権の名の下に武力の行使に至るまで、他人がコントロールできる方向に向かっているように思えてしまう。

特殊部隊員たちの生き様


 この国には、奪還すべき対象がどこに居ようと、情報があろうと無かろうと、「奪還しろ」という命令が下れば必ず実行する者がいる。方法はいくらでもある。映画のように《衛星写真や情報部からのネタを元にパラシュート降下して、ドンパチやって、離脱用のヘリで脱出…》という方法ばかりではない。《ほとんどない情報を頼りに、浸透し同化し情報をとりながら近づく》方法だってあるのだ。

 私は、陸・海自衛隊の特殊部隊員(注)が、どうやって選抜され、何を考え、何を望み、毎日何をしているかを知っている。そしてその実力も知っている。彼らだけではない。どんな部隊にも、極々少数かも知れないが、孤立しながら、いつ来るか判らない任務のために毎日、寒さ、暑さ、枯渇、飢餓、激痛、虚脱感の中で心身を錬磨して備えている者がいる。彼らは、命令が実行されれば、生きていたいという本能をねじ伏せ、“いきもの”から、ただの肉の塊になることも、肉片すら残らないことをも気に掛けず、ただ淡々と任務を達成しようとする。

 彼らが、自分を消滅させてでも守ろうとしているものは、日本が、その理念に基づき決定した国家の意志であり、そして、それを貫こうとする国家の姿勢である。

 誠に殉じようとする彼らを、他国のイデオロギーで決めた、他国の意志で翻弄するようなことがあっては、断じてならない。
(注)「陸上自衛隊特殊作戦群」及び「海上自衛隊特別警備隊」所属の隊員

いとう・すけやす 昭和39年、茨城県出身。日本体育大学卒業後、海上自衛隊に二等海士で入隊。「能登半島沖不審船事件」の際は護衛艦「みょうこう」航海長として不審船を追跡。この経験から海上自衛隊の特殊部隊・特別警備隊創設に携わる。同隊初代先任小隊長。平成19年退職(二等海佐)。予備役ブルーリボンの会幹事長。