攻撃を続行したソ連軍

 何よりも、八月九日に国境を侵犯して満州国領内と樺太の日本領内に進撃してきたソ連軍が日本軍の抵抗停止にも拘わらず、八月十五日以降も攻撃をやめなかった事実があり、さらにソ連軍が千島列島北端の占守島に「敵前上陸」を開始したのは八月十八日の午前二時のことだったという事も忘れてはならない。これは冒頭に引いたほんの一節に微してみても、相互的な義務履行の責任を課した外交文書であるポツダム宣言への違反であることが明白である。つまり戦争は決して八月十五日に終わっていたのではない。千島ではそれ以後になってむしろ新たに始まったのである。

 ソ連軍の千島攻略の軍事行動は二十年九月二日の東京湾での降伏文書への調印を横目に見てやっと停止した(但しその戦争目的は北海道本島への上陸・占領といふ野望だけを除いてほぼ完全に達成された)けれども、つまり戦闘行為は形の上では全面的に終わったが、「戦争」はなほ続いていた。八月末に始まった米軍主体の連合軍による日本占領は軍事占領であって、これは法的には戦争の一つの形態に他ならないからである。

 九月には占領という事態が現実化する。そしていわゆる「戦争犯罪人」の逮捕、軍事裁判、復讐的処刑という追撃戦が始まる。報道・言論機関に対する厳重な統制、一般市民の私信にまで及ぶ検閲体制の確立、治安維持法違反の政治犯の釈放強制といふ国内法への介入、神道指令を以てしての国民道徳・習俗への攻撃、義務教育における地理歴史の授業停止といった教育行政への介入、財閥解体、農地解放。こうした一連の占領政策の頂点に位するのがハーグ陸戦法規の締約に真っ向から違反する、占領基本法とも称すべき占領軍総司令部民政局即製の日本国憲法の採択強制である。

必要なのは過去の直視

 これら一連の占領政策の実施は、連合国から日本に向けての「戦争の継続」という観点からでなくては了解できない事態なのであり、従って今必要なのは「停戦後」五十年の感慨に耽ることよりもむしろこの観点からの過去の事態の直視である。

 それでは正確な意味での「終戦」の日は何時だったのか。答えは簡単で、国際法上は、連合国との間の平和条約が効力を発生した昭和二十七年四月二十八日である。まだ七年先の平成十四年のことになる真の終戦五十周年をどう扱うかはこの次の問題で、目下の急務は戦争状態の継続としてこの六年半の占領期間中に日本国民が背負い込んだ「負の遺産」をどの様に処理するかという問題の方である。

(こぼり・けいいちろう)