この年デビュー、インタビューに応じる小泉今日子
=1982年10月1日
 この時期、僕は裏仕事でマガジンハウスの雑誌などにも原稿を書いていたのでよくおぼえているが、いわゆる82年組のアイドルは「アンアン」や「オリーブ」でデザイナーズ・ブランドの私服姿を披露するようになっていた。まだステージや番組内では御仕着せの衣装も見受けられたが、徐々にオフの衣装のセンスが重要になってくる。原宿や青山のショップに通じたスタイリストがアイドルの取巻きに加わる。この辺は、非日常的なお人形さんルックでよかった天地真理の時代とは随分異なる点だろう。つまり、言葉は悪いけれど、ウンチやオシッコもする日常性が垣間見える方がアイドルとして自然、という意識に変わってきたのだ。なかでもキョンキョン(KYON2、という表記がハヤった)は、サブカル系雑誌の表紙でいきなりモヒカンヘアーを披露したり、インディーズ系バンドとコラボしたり、既成のアイドルの概念を積極的に打ち破っていった。

 80年代アイドルの女王は、なんといっても松田聖子だろうが、彼女に関しては見てくれのファッションよりも歌(楽曲)の力が大きい(尤も、聖子ちゃんカットというスタイルもハヤらせたが)。聖子の初期の曲もニューミュージック調ではあったけれど、「白いパラソル」(81年7月)以降の松本隆の作詞、財津和夫やユーミン(呉田軽穂)、細野晴臣の作曲、松任谷正隆のアレンジ――洗練された本格ニューミュージックチームの楽曲によって、新たなアイドル像が作りあげられていった。

 グッとシブいスポーツカーで迎えにくる彼、渚のバルコニーでバカネ…と呟く水着を持ってこなかった彼女…ユーミンあるいはティン・パン・アレー系サウンドにノった松本の詞世界は、湘南あたりのドライブシーンにも重ねられる日常性を持っていた。この辺はアンアンやオリーブでオシャレなオフっぽい姿を披露する80年代型アイドルの感性とも一致する。

 アイドル歌謡のニューミュージック化は70年代後半の太田裕美や岩崎宏美、キャンディーズあたりから試みられてはいたけれど、聖子によって完成された。しかし彼女、最近は穏やかになったから、ふと書き忘れそうになったが、しばしば芸能ジャーナリズムを騒がせた“スキャンダルの女王”でもあった。アイドルのまま恋愛しても、別れても、ママになっても…つまり、ウンチしてもオシッコしても大丈夫、というスタイルを実証したヒトなのだ。

 最後にもう一点、アイドルを語る――アイドル論なるものがメディアに根着いたのも80年代の初頭。その先駆は70年代後半に「ポパイ」誌で連載コラムを始めた近田春夫あたりになるのだろうが、80年代に入って「よい子の歌謡曲」に代表されるミニコミ誌が登場、KYON2についても中森明夫(この筆名からして…)ら新人類評論家によってアカデミックに魅力が論じられた。かくいう僕なども、そういう一員になるのかもしれない。

 当時の世相を回想するとき、フジテレビがキャンペーン時に掲げていた「おもしろロマン」とか「軽チャーっぽい」とかのキーワードが浮かんでくる。そう、「アイドル」は「アニメ」や「怪獣」や「B級グルメ」と同じく、ポリ(政治)性の薄れたサブカルチャーの格好の論題となったのだ。