歪んだ科学信仰からの脱却を

 そもそも症例を重視する立場ならば、今更エビデンスなどに頼らず、なぜこのような事例もとに正々堂々と戦わないのか。因果関係が証明できないのであれば、

「証明に必要ながんのデータベースを作る気がないのは、何かを隠したいからではないか」

と科学者を糾弾すればよい。誤った検証を持ち出してまで何かが「証明された」かのように主張する必要は全くないのではないか。

 私は、誤った科学を振りかざす人々の中にこそ歪んだ科学偏重があると思っている。科学的論証のないものは社会的に認められない、という誤った劣等感が、似非科学者たちを生んでいるのではないだろうか。
 
 繰り返すが、福島に対し、科学でできることには限界がある。
 
「…出来事の場合には、まったく予期しない事が最も頻繁に起こるから…『結果を計算する』形式で推理するということは、予期せざるもの、すなわち出来事そのものを考慮の外に置くという意味である。なぜなら『無限の非蓋然性』に過ぎないものを予期するのは非理性的であり非合理的であろうから。…」(ハンナ・アーレント)

 私自身、このアーレントの言葉には深く共感する。社会で起きていることは計算などできない。科学的エビデンスの確立を待てない人は、人道を掲げ、事実と考察をもとに堂々と戦えばよいのではないか。
 
 福島では、妙に「科学かぶれ」した人道主義者の捏造に近いエビデンスが住民に甚大な迷惑をかけている。ぜひとも自分たちの本分に専念し、福島の人々を幸せにしていただきたいものである。