このコラムは民事事件と刑事事件を混同しているのが、一目瞭然だ。その上で、「学問の自由」に対する「権力の介入」を擁護しているのである。李記者は、朴裕河ケースでは慰安婦たちの告訴があったから、検察は対応せざるを得なかったのだと言う。では、お聞きしたい。産経の加藤支局長ケースでは、当事者のパク・クネ大統領からの告訴があったのか!? その刑事立件の際、あなたはコラムを書いたのか? 書いてないでしょう。では、今度だけ何故書くのか? このコラムは、司法・検察の判断頼りの原稿である。

 彼の朴裕河攻撃の言葉遣い(「散文集」とか)が、朝鮮日報幹部夫人のソウル大教授ら批判派の口まねであることも、私には奇異に映る。ちなみに、このソウル大学教授とは鄭鎮星・元挺対協代表である。彼女は「日本軍の性奴隷制」(論創社、2008年)という著書も出版した慰安婦問題の専門家だ。12月2日に「朝鮮日報」の報道ウォチィングに際して、留意すべき点であろう。

「朴裕河起訴」問題を取材しながら、考えた


 2日にソウルで発表された「朴裕河批判」の声明には、金富子(一橋大学教授)ら数名の日本在住の朝鮮研究者の名前もあった。しかし従来だと、この手の「慰安婦問題声明」に名前を連ねていた主要な日本人研究者たちを、私は発見できなかった。朴裕河に対する検察の起訴処分は、これらの学者の「足並みの乱れ」を招いているのは、間違いない。

 日本プレスセンターでの「起訴抗議」会見や、朴裕河の「早稲田大ジャーナリズム大賞」受賞を取材しながら、いくぶんかの「違和感」があった。

 例えば、世話人代表者格と言って良い若宮啓文(朝日新聞元主筆)の記者会見での発言。「ここに集まった者たちは、みんな韓国を愛している者ばかりです」。こういう自己弁明的なことを言う必要があるのだろうか。

 「彼女の著作に全面同意している訳ではない。しかし韓国検察が彼女を起訴したのは、学問の自由への侵害であり、断固として抗議したい」。このような論調も周辺に見られるようだが、これもおかしい。二つの事実認定の間のバランス比定を間違っているからだ。「学問の自由」への侵害を、満身の怒りを持って抗議すれば良いのだ。
  
 韓国にはかつて「多くの朴裕河」がいた。韓国内の多数派言説に「異議」を唱えて、社会から排除された人たちだ。私がソウルで著書を発見して、日本の出版社に紹介した「キム・ワンソプ」もその一人だ。彼は今回と同様に「名誉毀損」で起訴されたが、日本の進歩派学者知識人からは「抗議声明」もないまま、逆に「歴史修正主義者の同調者」と烙印を押されて非難された。「リベラル派」まで韓国批判に血道をあげる(自己弁明付きで)ようになったいま、あえて苦言を述べておきたい。