他人の夫婦は勝手だが、自分のところの別姓は許さない、では夫婦別姓に反対する高齢者たちと、似たり寄ったりの発想でしかなくなります。そうなると仮に選択制が導入されても、個別の夫婦では一方が変更を強いられるような場合はまだまだ残ることが懸念されます。

 もっとも、そのような姓にこだわり、相手に変更を求めるような人とは結婚しない方が良かったりもするのかもしれません。

 本来であれば、夫婦別姓であるべきであり、そうでなければ選択を強いられることにならざるをえません。自由意思により選択できる状態が理想だとしても、自分は利用しないが69.8%では、過半数が別姓に賛成と言っても、どうにも心許ないものがあります。

 それにしても高齢者は世代の違いというものもあるでしょうが、保守・反動一派からは、執拗に反対論が展開されています。その根拠は上述したような家族の絆なのですが、本音は家制度の維持です。

 家を中心とした制度により国民支配を貫徹するためのものであり、精神的に従属させようというものです。このような保守派の主張は全くもって取るに足らないものです。

 ところで米国では中絶を巡って、保守派が頑強に反対しており世論調査も二分しています。しかし、これも同じで個人の持つ宗教観を他人に押しつけているだけのことであり、キリスト教徒でもなければ無神論者として母体に問題がなければ中絶することは当然に自己決定権の範ちゅうものです。
中絶政策に反対する男性たち=2015年5月、米ノースカロライナ州
 自分は自分の価値観(宗教観)から中絶はしない、というのであれば勝手ですが、それを他人に押しつけるようなことは明らかに横暴です。

 米国では、中絶を実施している医療機関が襲撃され、医療関係者が殺されたりしていますが、これは宗教的価値観に基づくテロであり、「イスラム国」と同じレベルのものです。

 どの宗教を信仰しようとその人の勝手ですが(子に強要するのは勝手とも言えません)、何故、どこの宗教もそうですが、他人に価値観を押しつけようとするのでしょうか。ましてや襲撃など論外です。

 夫婦別姓にしても中絶にしても、それぞれが選択すべきものであって、他人が価値観を強制することなど、許されるものではありません。