「結婚=個人の自由」の限界

 同性婚賛成者による婚姻の定義は、個人の自由や自己決定をより前面に出しており、一見すれば個人主義の考え方に合致しているように見える。例えば、今回のアメリカ連邦最高裁判決において、アンソニー・ケネディ判事が婚姻について述べた部分に、次の一節がある。

「人と人との様々な結びつきの中で、婚姻以上に深い結びつきがあろうか。何故なら婚姻とは、愛の、忠誠の、献身の、自分を犠牲にしてでも守りたい気持ちの、最後に目指す極みであり、家族を抱くことである。婚姻関係を結ぶことで、二人の個人は、いままでの自分をはるかに超えて深みのある人間になる。」

 美しい文章であると評判になった一節だが、残念ながら「婚姻当事者2人の現在の幸せ」が軸となるのみで、そこには「子どもを含めた世代を超えた継続性」への視点が見えてこない。

 もし結婚が「本質的には自らの幸福のためになされる私的で親密で情緒的な関係であり、カップル自身によって、カップル自身の為になされるもの」であるならば、現実に2人が生活を共にすれば良いだけの話ではないのか。何故、2人の幸せの為に「結婚証明書」が必要なのだろうか。多数意見の他の部分においても、(同性婚を認めても)「異性カップルの選択や思想・信条等は軽視しておらず、異性カップルに対して何ら危害を加えていない」として異性カップルに対する配慮を示してはいるが、より重要な婚姻制度のあり方や子ども達のことまで考慮が及んでいないようである。

 同性婚を認めるということは、このような婚姻の定義の修正を認めるということになるが、これは同性同士のみならず、通常の結婚のあり方を転換させることを意味する。そして、その転換によって、家族は崩壊を引き起こす。なぜなら、結婚の主役はカップルのみであり、カップルの現在の選択の自由のみが尊重されているからである。

 もしも、現在の選択の自由のみを尊重するなら、結婚したくないカップルは同棲すれば良いし、結婚しても親密な感情がなくなれば離婚すれば良いという安易な発想になりかねず、社会制度全体が、結婚率のさらなる低下や離婚率の上昇を招く方向に向かわざるを得なくなる。

 さらに現在の社会通念上、非難される、または許されない行為も、自由の名の下に、論理的には認められ得る。例えば、婚姻中もお互いの了承があれば不倫をしてもかまわない、当事者が同意しているのならば、一夫多妻制や近親相姦も何故いけないのかという発想にも繋がるかもしれない。その上、生命倫理上の問題も複雑化する。結婚相手はいらないが子どもは欲しい場合や、同性愛者のカップルの場合で子どもが欲しい場合、他人の精子・卵子を購入して子どもをつくることさえ、自己決定の1つと解釈されてしまいかねない。

 ただでさえ、日本社会においてもアメリカ社会においても1960年代以降、家族の崩壊は著しい。例えば、アメリカ社会の1960年と2010年を比較すると、15歳以上の女性千人あたりの年間結婚件数は半分以下に減少しているのに対し、離婚件数は2倍以上となっている。同棲も1960年の44万件が、2011年には760万件へと17倍以上になったと推定され、非嫡出子の出生率は5・3%から40・7%へと大幅に上昇した。日本においても、1962年と2013年を比較すると結婚件数が92万8千件から66万1千件に減少しているのに対し、離婚は7万1千件から23万1千件と3倍以上増加、2010年の18歳未満の子どもがいる片親世帯は125万4千世帯に上るとされる。

 以前に比べてより多くの人々が離婚を選択したり、結婚もせずに同棲し子どもさえ生んだりしてしまうという現状がある。もし婚姻の定義を「婚姻の主役はカップル自身であって、カップル自身の幸福のためだけになされる私的な行為」と解釈するようになれば、このような家庭崩壊は益々加速することになろう。

 たとえ家族の崩壊が加速しても、個々のカップルにはすべてが自由の方が良いかもしれない。しかし、子どもにはどう影響するのであろうか。婚姻の概念から、本来その制度の根本思想であった責任ある出産と育児が切り離され、子どもの情緒的な発育にとって必須とされている母親と父親の存在がなくなってしまう。自分の血縁上の親の存在自体が分からないことは、自らのアイデンティティ形成上、多大な不利益をもたらすことは言うまでもない。また、両親がどちらも不倫をしていたり、いつ離婚するか分からなかったりする家庭は、子どもが健全に育つのに良い環境だと考える人は誰もいないであろう。

 婚姻の当事者はカップルのみだが、婚姻の結果、多くの場合、その後に子どもが家族の構成員に加わる。子どもは、婚姻をしたカップルとは違って、家庭を選べず、大人へと成熟するには時間もかかるのである。その間には出来る限り、血の繋がった仲の良い両親に養育されることが望ましく、愛情あふれる継続した家庭がどうしても必要なのである。それゆえ、婚姻を同性婚賛成者の定義で考えるのではなく、「社会的な制度」として「子どもや社会の利益の為に、男女のカップルによる性行為、出産、子育てに責任を持たせるよう社会的に承認するもの」と解釈し、生まれてくる子どもの福祉、実の親との安定した親子関係を保護することを第一の目的とすべきなのである。