夫婦別姓、再婚禁止期間廃止…家族の多様化がもたらすもの

「家族の多様化」は、一見すれば大変魅力的な言葉である。

 たとえ家族というものが社会の根底を支える制度であるとしても、様々な形があっても良いではないかという考えも聞かれる。例えば、「同性カップルであっても異性カップル同様に親密な関係があり、しかも本人同士が希望しているにも関わらず、政府が性別によって結婚を否定することは、結婚する権利の侵害であり、性別による平等原則違反であり、(性的な嗜好による)少数派の人権を蔑ろにしている」というのが、同性婚賛成論者の主張であり、今回のアメリカ連邦最高裁判所の多数意見の見解でもあった。

 確かに、同性同士であっても、異性間同様に家族同然の親しい関係は存在するかもしれない。税金等の経済的な面に関しては、家族同様に日々扶養しあっている関係があるならば、法律上も考慮すべきであると思う。けれども、それは法的な婚姻の定義を変えずとも、同性カップルに対して、それに対応する別の法制度を整えることでも可能である。

 同性婚というテーマのみならず、家族に関する法制度においては、どこまで個人の自己決定を尊重すべきなのかという点で、共通の難しさが存在する。

 誰と婚姻が許され、誰と誰が法的な親子となり、どの範囲を家族と考えるかという問題は、本人同士の意向を全く無視することは出来ないが、同時に、個人の自己決定のみで全てを片付けることも出来ない。残念ながら、婚姻当事者(親)の自由を広げれば広げるほど家庭の存続は不安定なものとなり、子どもはもちろん、さらには家庭という制度によってこれまで保護されてきた障害者、老齢者等の将来まで不安定なものとなる。その意味で、子どものいない夫婦だからといって無関係なことではない。

 婚姻を社会的な制度と考え、国が保護、規制するのは、家族には世代を超えた繋がりがあり、結婚する当事者の意思のみならず、特に将来生まれてくる子どもには不利益にならないようにしなければならないという配慮が生まれているからである。しかし、昨今の民法論議では、こうした家族の存続や子どもの視点を前提とした「社会的制度としての家族」という見方よりも、婚姻当事者の「個人的な選択の問題」として婚姻を捉える者が多くなっていることは、懸念すべき事態だといわねばならない。

 最高裁で11月4日に弁論が開かれることになっている女性の再婚禁止180日規定廃止、夫婦別姓についても、同様の指摘が当てはまり得る。婚姻当事者の選択の自由を広げることを重視するのみで、子どもが自分の母親を推定することを容易にする180日の再婚禁止規定や、子どもが両親、家族と同じ姓を名乗る夫婦同姓の重要性が、あまり議論されていないのである。

 また、非嫡出子の相続については最高裁がすでに嫡出子の半分とする民法規定を違憲とする判決を出し、法務省は民法の改正作業を余儀なくされているが、子ども、家族の視点が重要なことはいうまでもない。

 確かに家族には個々の構成員がおり、出来る限りの個人の自由や自己決定は尊重すべきだ。しかしながら同時に、家族は継続性を前提とした上での助け合いのシステムである。しかも夫婦間だけではなく、老齢者、障害者、特に子どもにとっては成長していく上で、欠くことの出来ない場である。そしてその子どもたちが安定し継続した家庭で一人前に成長し、次世代の私たちの社会を支えていくことになる。立場の強い親の現在の希望を尊重することだけを考えるのではなく、次世代を担う子ども達に何が一番必要かということを第一に考える婚姻制度を今後も守っていくべきではなかろうか。

 いけや・かずこ 昭和47(1972)年、横浜市生まれ。東洋大学法学部卒業、同大大学院法学研究科公法学専攻修了。博士(法学)。東洋大法学部非常勤講師などを経て、平成25年4月から長崎大教育学部准教授。著書に『アメリカ児童虐待防止法制度の研究』(樹芸書房)。