報道によれば、今回の再公募に際して示された基本要項の中に、「日本らしさ」「木の活用を図る」という要素が入っていた。そのためAB両案とも「杜のスタジアム」という同じコンセプトで、木材が印象的に使われているのだという。どうやらそれは、林業・木材関係者からの強力なプッシュがあった、新国立競技場の建設を契機に林業振興を図りたい意図があった、と指摘する声もある。個人的にそのことは賛成だが、ここでもやはりスポーツが主体ではなく、産業的な思惑にスポーツが利用されている感が否めない。

 本当は「スポーツの根本的な社会的役割」について、東京五輪を契機に深く議論し、思いを共有したいと私は熱望している。スポーツはなぜ国民にとって大切なのか。どのような姿勢、どんな認識で取り組むと本当に心身を増進させる好影響を個人にも社会にももたらすのか。そうした動きがほとんど見えないことに、スポーツを愛する者として私は失望している。

 極端な提言と言われるかもしれないが、旧国立競技場が解体されていま原っぱとなり、クローバーが生い茂る都会のオアシスの風景が私には魅力的に感じられる。これをそのまま原っぱとして整備・活用できないかとの夢も広がる。

JSC(日本スポーツ振興センター)の取り壊し工事が終わった
国立競技場の跡地=11月16日午前、東京都新宿区(鴨川一也撮影)
JSC(日本スポーツ振興センター)の取り壊し工事が終わった 国立競技場の跡地=11月16日午前、東京都新宿区(鴨川一也撮影)
 日本はそして日本人はこの時代の転換期に、「都心のスタジアム」を選ぶのか、「都会にオアシス」を創るのか。こういう選択肢だっていまなら許される。原っぱを基調にして、外周を少し起伏のある林に造成し、ランニング・レーンを配置する。一部の競技者のためでなく、都心に国民のための原っぱと小さな杜を作ることは明確な未来へのメッセージとなるだろう。東京五輪の開会式、閉会式は、2019年のラグビーW杯と同じく、調布市にある味の素スタジアムで行う選択肢もあったのではないか。

 都心の原っぱが無理だとすれば、AB両案がどんな基準で採点されたのか? 私は最終決定された案が少なくても「三つの要素」を満たしていることを期待する。

 ひとつは、「スポーツ界の象徴的な施設」となるのだから「今後の日本のスポーツが歩み出す姿勢とスピリット」が表現できていること。本当は外観だけでなく、内部の施設も重要だ。大きなスタジアムのスタンド下には、トレーニング施設や医科学研究所なども併設されるのが近年の傾向だ。その方向性が、相変わらず欧米のスポーツ医科学や筋力トレーニング重視の施設なのか? 外観が「和」のイメージなら内部にも日本の伝統的身体文化である武術的な研究施設を併設するなどの発想は込められているのか?

 ふたつめは、最も懸念すべき「安全対策」だ。地震に対する備え、異常気象が続く高温対策、そして現実の危機となりつつあるテロ対策だ。この建物が、テロリストの目から見たときに堅牢なのか、隙があるのか。テロ対策をする立場から見たら十分な可能性を持っているのか、対策が取りにくいのか。当然、そのような検証が行われた上で決まったと信じたい。

 そして三つめは、五輪後の施設利用の方向性だ。日常的に一般の利用者にどう開放されるのか。その役割をどれほど大きな比重で設定するのか。新国立競技場は「見に行く」だけの舞台なのか、「普段は誰もがスポーツのできる拠点」なのか。いずれかで全体の構えも違うはずだ。

 かつての国立競技場はジョギングやトレーニングに励む人々の日常的な拠点としても機能していた。新国立競技場も両方の機能を持つなら、例えばふたつの玄関が必要だろう。国賓を迎える表玄関と、公共交通機関からのアクセスのよい通用門。双方を満たす配慮は当然織り込み済みだと思うが、そうした情報をなぜ積極的に広報しないのか、不思議だ。

 本当はこうした概要が公表された上で、もっと詳細に議論した上で判断されたらなおよかったと思う。