自衛隊は他国を侵略する能力はなく、その能力を制限しながら日本を守ることなどできません。だから日本は日米安全保障条約を結んでいるのです。そもそも昔とは違い、これだけ兵器の発達した現代では一国のみで自衛することは難しく、世界一の軍事大国と言われるアメリカでさえ各国と同盟を結んでおり、集団的自衛権を否定し自国のみで防衛している国などスイスくらいのものでしょう。ではそのスイスのように国民皆兵制度を導入し、各家庭に銃を配るのかと言えば、それは否定する。では憲法を改正して「自衛隊を軍隊にして防衛力を強化しましょう」と言っても反対する。そして日米安保については何も言いません。本来、集団的自衛権を否定するのであれば、日米安保や集団的自衛権の行使を肯定している国連も否定するのが筋なのですが、不思議なことに彼らは、その問題に触れようとはしません。

フィリピン・マニラで、日米首脳会談を前に握手を交わす
安倍晋三首相(左)とオバマ米大統領(11月19日)
フィリピン・マニラで、日米首脳会談を前に握手を交わす
 安倍晋三首相(左)とオバマ米大統領(11月19日)

 そんな彼らの理屈を整理すれば「日本に危機が迫ったときはアメリカが集団的自衛権を行使して日本を守るべきだが、いくらアメリカが困っている時でも日本は憲法の制約により集団的自衛権を行使してアメリカ人を助けることはできない」ということで、彼らは他国が日本に攻めてきたときは、とりあえず不十分な法整備の自衛隊員が犠牲になり、そのうちにアメリカが助けてくれるとでも思っているのでしょうか。自ら努力することもせずに憲法を順守するだけで国家の防衛が可能であると本気で考えているのであれば、どうかしているとしか言いようがありません。

 このような、恐るべき自己中心的かつアメリカに甘えた考え方では、日本国憲法前文の「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という願いは永遠に叶わないどころか、人として軽蔑の対象になることでしょう。

 そもそも彼らが、そこまでしてこだわる必要最小限は、どうやって決めるのか、日本政府の見解を見てみましょう 

 わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。その具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面があり、毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断されます。憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することで、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かにより決められます。

 しかし、個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えています。(防衛省H.P.より抜粋)

 この文言通りに実行するというのは

  毎年、国会が仮想敵国の戦力を見積もり、それを必要最小限上回る装備を整える為の予算を配分する。おまけに、相手国の国土を破壊する兵器は持たず、専ら相手からの攻撃を排除する。ということです。 

 はたして、ろくな諜報機関も持たない日本が、相手国の戦力を正確に把握できるのでしょうか?たとえ、いくら優秀な諜報機関を持っていたとしても、そのようなことは実現不可能な机上の空論であるだけでなく、そのような面倒なことをする意味がありません。ですから、実際のところは防衛予算をGNP(国民総生産)の1%以内に抑制するという「GNP1%枠」というものを1976年に三木内閣が閣議決定し、以降それを歴代内閣が踏襲しています。